なぜなら、競争こそ進歩の原動力であり、努力した者が報われ、能力のある者がよりその能力を磨けるいい大学に進学するのは当然の権利だと考えるからだ。
例えば、大学が成績の善し悪しを基準にしないで、誰でも学生を受け入れるとしたら、大学ではその水準に合わせる授業が必要となるため、授業レベルは低下し、学習意欲も高く能力もある学生は犠牲にされることになる。中高生たちは、「勉強は大学に入ってからでもいいさ」と怠けるようになるのではないだろうか。安易さは堕落を生む。
この競争社会では安易な道はない。勝ち残るためには努力が必要なのである、それは、中等教育でも大学でも、そして社会に出ても、連続的に続くプロセスなのである。むしろ、受験競争を悪としたり、能力主義を否定したりする戦後学校教育の悪平等主義こそが、教育荒廃を生んだと考える。 従って、私はこの意見に反対である。 問題13
規則は厳しいが、有名大学への進学率が高い受験重視の学校と、進学率は余りよくないが、規則は緩やかで子供の自主性を尊重する自由な学校があるとします。もしあなたが親なら、自分の子供をどちらの学校に通わせますか。 解答 自由な学校
私なら、子どもの自主性を尊重する自由な学校に通わせる。
なぜなら、人間にとって幸せとは、いい大学を卒業して、一流企業に就職し、高い地位につくことにあるとは限らないからである。
例えば、ラーメンづくりに情熱を注ぎ、少しでもおいしいラーメンを作りたいと日々努力している人は、大会社の社長や大学教授よりも不幸せだと言えるだろうか。豪邸に住む人々が、平凡なサラリーマン家庭よりも幸せだと言えるだろうか。
人は強制されて何かをしているとき、幸せを感じはしない。また、人は自分自身が選んだ好きな道に打ち込むことを通してしか、自分の能力を開花させることはできない。それはこども自身がつかみ取るものであり、親が自分が望む「幸せの形」を押しつけるべきではない思う。
従って、親は子供自身が自分の好きな道を選べるように、寛大で自由な学習環境を与え、子どもを信じて、温かく見守ってやることが大切なのである。 問題14
いじめ問題にかんしては、「いじめる方だけでなく、いじめられる方にも原因がある」という意見があります。あなたはこの意見についてどう思いますか。 解答 賛成意見
わたしは「いじめられる方にも原因がある」と思う。
なぜなら、いじめには、いじめる者、いじめられる者、いじめを傍観したり見て楽しんでいる者という三つの当事者が存在すると思うし、いじめはこの三者の複合的な産物だと思うからである。
例えば、いじめる者がターゲットを絞るときには、「いじめても反撃されない」「親しい友だちやグループ
がいない」「先生に言いつけたりしないだろう」などのずるい判断が働いているはずだ。少なくとも、自分よりもちからが強く、クラスでも信望がある者をいじめの対象にはしない。これを逆に言えば、いじめられる対象に選ばれたのは、「いじめられやすい者に見られる共通の傾向」が何か存在していたことがわかる。つまり、いじめを生む原因は、三者それぞれにあるのである。
従って、私はいじめを解決するためにも、加害、傍観、被害という連鎖構造を生む三当事者それぞれの中に、原因を求める必要があると考える。 問題15
「みんなが共通の科目を学ぶのは義務教育である中学校までとし、高校からは学生に科目選択の自由を与え、好きな教科だけを学べばいいようにするべきだ。」という意見があります。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。 解答 反対意見
わたしはこの意見に反対する。
なぜなら、現代社会を生きるには、英語、コンピューターなどの技能以外にも、最低げんそなえておくべき教養というものがあり、そうでなければ国際化に対応できないと考えるからである。
例えば、理工系に進むから、国際社会や異文化に関する知識は必要ないということになるだろうか。技術者として活躍するには、諸外国の技術者との交流はさけてとおれず、共同研究する機会も増える。その際、専門分野で優れた力をもっていればいいということになるだろうか。
確かに、ひとりひとり、個性や適性が違うのであるから、何を学びかということについて、できるだけ学生に選択の自由があっていいと思う。しかし、情報化、国際化時代に生きるために必要とされる一定の教養や知識というのはあるのであり、それを共通科目とするのは当然だと考える。
従って、わたしはこの意見には反対であり、共通科目と選択科目の二本立てが適切と考える。 問題16
あなたは仕事か家族か、どちらかを選ばなければならないような人生の岐路に立たされたとき、どちらを選びますか。 解答 家族を選ぶ
わたしは家族の幸せの方を選ぶ。
なぜなら、血縁で結ばれ喜怒哀楽を分け合う家族を離れて、人間の幸せもあり得ないと考えるからである。 例えば、わたし自身について語れば、わたしの大学合格や結婚をいっしょに喜んでくれたのは、いつも父母であり、家族であった。喜びは分かち合える人がいてこそ喜びなのであり、家族の喜ぶ顔を思い浮かべながち、苦しいときも自分を励ましてきたのである。
家族とは日頃は空気のような存在であり、人はその大切さを忘れがちだが、それを失ったときにその存在の大きさがわかる。仮に巨億の富と名声を手に入れようが、家族もなく子どももなく孤独な人生に幸せがあるとは思えない。まして、死を前にして、そのような富と名声にどれほどの価値があろうか、わたしにとっては、家族あっての仕事なのであり、家族こそ何よりも大切なものなのである。
従って、仕事か家族かの選択を迫られるなら、迷わず家族の幸せの方を選ぶ。 問題17
「身なりや服装など、第一印象で人を判断するのはよくないことだ。」という意見がありますが、あなたはこの意見についてどう思いますか。 解答 反対意見
わたしはこの意見に反対である。
なぜなら、多くの場合、人が相手とつきあうかどうか、採用するかどうかなどを決めるのは、第一印象だからだ。
第一印象というのは、最初に相手の外見や態度から感じた感覚を表しているが、「好感」「不快感」「やさしそう」「こわそう」「おとなしい」「活発」「生意気」「かわいい」などの言葉であらわされている。人が「話してみたい」「もう一度会いたい」と思うのは、言うまでもなく、「好感」などの好印象を受けたときである。悪印象をうけた場合は無意識のうちに敬遠される。
そのいい例が面接試験である。清楚な服装をし、はきはき答えるよう親や教師から指導されるが、それは第一印象の重要さを知っているからである。たった一度の面接、つまり第一印象で、進学や就職といった人生が左右されるのである。
従って、第一印象は極めて重要である。チャンスはいちど逃したら、取り返しがつかないのである。 問題18
「男性は男性らしく、女性は女性らしくあれ」という意見があります。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。 解答 賛成意見
わたしはこの意見に賛成する。
なぜなら、人類誕生のときから男女の性分業は存在していたのであり、それを否定することから、男女が平等な社会は築けないからである。
例えば、男と恩女の役割分担そのものを否定する意見があるが、人類は原始母系社会の時代から、家族の食事を作ったり衣服を繕ったり、子どもがまだ幼い頃の子育て、居住地近くで原始的な焼畑農業は主として女性が分担していた。一方、家を建てるとか、狩猟や漁獲とか、獣から家族を守るなどの力仕事や危険な仕事は男性が分担していた。この時代は母がもっとも敬われ、女性が太陽の時代であった。このように、女性が生き生きと輝いた社会は、男が男らしく男としての役割を分担し、女が女らしく女としての役割を分担していたのである。
従って、わたしは男がもっと男らしく、女がもっと女らしくあること、そしてそれができる社会こそ、男女が共に助け合って生きていける共同参加社会だと考える。 問題19
「年老いた両親の面倒を子どもが見るのは当然である」という意見があります。あなたはこの意見に賛成で
すか、反対ですか。 解答 賛成意見
わたしはこの意見に賛成である。
なぜなら、それが人倫の道であり、人は親が様々な苦労をして、自分を独り立ちするまで育ててくれた恩を忘れるべきではないからである。
例えば、あなたは自分自身が年を取り、身の回りのことも一人でできなくなったとき、どうしてほしいと思っているか、胸に手を当てて考えてみるといい。老人福祉施設にぽつんと置かれ、死を迎えることをほんとうに望んでいるか。おそらく否であろう。家族に見守られて最後のときを迎えることを望まない人が果しているだろうか。
人は老いれば老いるほど、家族の暖かさがほしいものなのである。そして誰もが必ず老いのときを迎えるのである。あなた自身がこうあってほしいと思うことを、自分の両親にしてあげるのは当たり前のことではないだろうか。
従って、わたしは老いを家族と共に過ごせるような家庭や社会を作ることが大切であり、そのための努力を国も一人一人もすべきだと考える。 問題20
あなたが仕事を選ぶときに重視するのは、仕事の内容ですか、それとも報酬の多寡ですか。 解答 仕事の内容
わたしは仮に報酬が少なくても、充実感のある仕事を選ぶ。
なぜなら、仕事というのは自分の夢を実現するためのものであり、金銭だけでその価値が計れるものではないからだ。
例えば、売れない絵を描き続けている画家であっても、売れない小説を書き続けている小説家であっても、仕事をしているのである。また、普通のサラリーマンにしても同じである。例えば、島津制作所の田中耕一さんが、今年のノーベル化学賞に決まったが、彼は会社の昇進試験を一度も受けたことがないような金銭や出世に無欲な人であった。しかも、田中さんはノーベル賞の分析手法について、国際特許を取っていない。技術を公開して、世界に普及させた方がいいという考え方からだ。偉業を成し遂げる人というのは、このような人ではないだろうか。
従って、わたしは報酬は生活できるだけあればよく、報酬の多寡よりも、やりがいの有無で仕事を選ぶ。仕事とは自己実現の道なのである。 問題21 リサイクル
ゴミ処理の方法が社会問題になっている。今まではゴミは回収された後、燃やされ、地中に埋められるのが普通だった。しかし、ゴミを埋める場所は限界に近づいている。そこで近年注目されているのがリサイクルだ。ゴミとして捨ててしまうのではなく、加工したりして、もう一度利用しようというわけだ。
私たちは普段、多くの紙類を捨てている。近年特に増えてきたのが、コピー用紙だろう。パソコンで作った
文書をプリントアウトしたり、それをコピーしたりして、大量の紙を使っている。これらの紙は使い終わった後はゴミになるだけである。しかし、コピー用紙テイッシュペーパーやトイレットペーパーにリサイクルできる。同じように、古新聞からは、また新聞や雑誌や本などができる。古雑誌からは段ボールを作ることができるのである。
私たちは毎日大量のゴミを出している。しかし、ゴミ処理に限界がある以上、リサイクルによる再利用は避けては通れない問題だ。ゴミを出す私たち消費者は、ゴミを捨てる前に、再利用可能かどうかを考えなければならない。またリサイクル製品を積極的に使用するべきである。 問題22 地球を守ろう
経済が発展する一方で、環境問題も相当深刻になってきた。深刻な環境問題の一つに森林破壊がある。我々が木を次々に切り倒したことは、多くの問題を生み出した。ある野生生物は生息地を奪われ、絶滅した。また木が少なくなったことで、山崩れや川の氾濫が起こりやすくなった。
また都市部では自動車の数が年々増えている。自動車の排気ガスは、大気汚染に大きな影響を及ぼしている。大気汚染によって、喘息や気管支炎、肺がんなどの呼吸器系統の病気が急増している。
工場から出される有毒ガスも大気汚染の大きな原因だ。大気汚染は「空中鬼」とも言われる酸性雨を降らせる。酸性雨は森林や農作物を枯らせ、湖の魚なども死なせてしまう。また、工場の廃水は、川に住んでいる生物に被害を与える。さらに、汚染された魚を食べた人間は病気になり、汚染された川の水を引いた田畑の農作物は枯れてしまう。
環境汚染が更にひどくなれば、人類は破滅する。そして全ての生物が滅んでしまったら、地球はただの汚れた星になってしまう。この美しい地球を守るために、人類全体が協力していかなければならない。 問題23 国民的スボーツ
スポーツの普及は、国によって特徴があり、それぞれの国には国民的スポーツと言えるものがある。例える、イタリアではサッカーが国民的スポーツと言える。ワールドカップではイタリアチームはいつも優勝候補の一つである。また、世界各国の有名選手たちがイタリアのプロサッカーチームで活躍していることからも、レベルの高さが分かる。
日本ではやはり野球だろう。会社から帰ったお父さん達の楽しみは、ビールを飲みながら、テレビで好きな野球チームを応接することだと日本語の授業で習ったことがある。野球シーズンには毎日のように、試合の様子がテレビで生中継されるそうだ。
アメリカ人はバスケットボールが好きだ。大きな選手が狭いコートを激しく動き回る。点数が入るたびに観客は立ち上がり歓声を上げる。テレビで見ていてもその興奮が伝わってくるようである。
中国ではもちろん卓球だ。私達は子供の頃から卓球に慣れ親しんできた。どの学校にも卓球台が並ぶ運動場があり、いつも大勢の学生が卓球を楽しんでいる。オリンピックなどの国際大会で活躍する有名な選手もたくさんいて、彼らは私達の憧れの的であり、誇りでもある。