● 日本耐用消費品的普及
● 日本における家電製品の普及については、
50年代後半白黒テレビ、洗濯機の急速な普及。 60年代初めに冷蔵庫、掃除機の普及。
其後、テープレコーダ、ステレオ、乗用車、ルームエアコン、電子レンジ的普及。 テレビ?洗濯機?冷蔵庫の三種の神器。 カラーテレビ?クーラー?乗用車の3C。
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第10章 日本民族的模仿与创造
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戦後日本人的智慧
一.ノーベル賞受賞者
1901年 6個領域 700人以上個人和団体 日本人12名(但無人獲得経済学奨)。 物理学4名 湯川秀樹(1949年度)、朝永振一郎(1965年度)、
江崎玲於奈(1973年度)、小柴昌俊(2002年度)。
科学4名 福井謙一(1981年度)、白川英樹(2000年度)、
野依良治(2001年度)、田中耕一(2002年度)。
生理?医学1名 利根川進(1987年度) 抗体遺伝学的解明 文学2名 川端康成(1968年度)、大江健三郎(1994年度) 平和1名 佐藤栄作(1974年度)
井深大「ものをつくることが実業でそれ以外は全て虚業」(只有製造是実業、除此之外全是虚業)。
●「情報家電コードレスに 屋内電波帯を3年以内に創設」(総務省2003年9月3日)
二.“チームワーク”(団隊精神)的力量
戦後,在日本的経済高度増長時期,有許多劃時代(エポックメイキングepoch-making)的技術発明和創新。在毎一個成功的舞台之後都有一段動人的故事,而這些故事多由「チームワーク」貫穿始終。
1.「世界規格」――VHS
日本人創造的第一個世界規格「VHS」。
昭和45(1970)年、行業第8位日本ビクター。連続赤字だ。事業部長高野鎮雄氏(47歳)。6年努力的結晶 「VHS」技術、国内外公開。無視短期利益、実現超越欧米的夢想。
2.癌的克星――胃鏡的自为開発
昭和24(1949)年、東京大学附属病院副手宇治達郎氏(30歳)。
オリンパス光学(株)直径僅12mmカメラ的開発。超越常識的発想。レンズ、フィルム35mm→6mm、5mm電球。
3.震驚世界的一輛車――名社長与年軽技術人員
昭和44(1969)年、会社存亡危機的時刻、\低公害エンジンプロジェクト\開発。
年軽技術員VS社長?本田宗一郎氏。4年後、運用F1レース「ガソリン徹底燃焼」技術。(シビック) 社長「世界第一的汽車会社」VS年軽技術員「我們是為社会而幹的」。 本田宗一郎氏「自分の時代は終わった」。
4.新幹線的誕生――「東京―大阪3時間への可能性」
昭和32(1957)年5月、戦後日本最大的プロジェクト――建設「新幹線」。
中心人物之一、旧陸海軍技術人員三木忠直。戦時、設計轟炸機的航空技術人員。 戦後、「人の役に立つものを作りたい」。将「飛行機」的理論運用於「鉄道」行業。 「夢想超特急」 流線型的車体、吸収振動的新型車盤、ATC(自動列車制御装置)…。 昭和38年、新幹線 最高速度256km/h的世界紀録。欧米鉄道界亦随之改変。 5.「町工場、世界へ翔ぶ」――トランジスタラジオ
称著世界的高品質的日本工業産品(「敗戦」「輸出で外貨を稼ぎ、日本を再建したい」) かつて、「メイドインジャパン」=「悪かろう、安かろう」的代名詞だった。 昭和30年、ソニー開発的「トランジスタ?ラジオ」。打破偏見的革命商品。
6.電飯鍋――倒産的戯劇性転変 昭和30年、日本的「台所」。自動炊飯器、即電気釜。減軽为婦的家務労働。
開発:東京の大田区で町工場社長三並義忠?風美子夫婦。東芝の営業マン山田正吾的提議。実験開始から3年、東芝発売。「为婦
に睡眠時間を」広告。 7.「液晶 執念の対決」――夢想的ディスプレイ装置「液晶」
世界初、「液晶」の実用化に成功したのは、シャープの研究所の技術者たち。
リーダーの和田富夫はかつて、壁掛けテレビの開発にたずさわり、挫折。管理部門に回されていた。偶然、
テレビで実験段階の液晶を見た和田は上司に開発を進言。
超過1万回実験結果、電卓表示装置、世界初「液晶ディスプレイ」成功。 8.「通勤ラッシュを退治せよ」――世界初、自動改札機誕生
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(上海地下鉄改札口の故障?事故問題)
昭和42(1968)年、大阪北千里駅、設置自動改札機。第1号機。 立石電機(現オムロン)。 鉄道の混雑、ダイヤの乱れ、ホームからの転落事故な。鉄道会社の打診。
社長の立石一真(67) 、技術員田中寿雄(27)は、試作機 1分間に80人。完成までに6年。
大人と子供の区別 、男女の区別、偽假券の発見、荷物と人との判別。濡れたり折れたりする切符。 レーザー光線。
「殺人9.「レーザー?光のメスで命を救え」 脳外科医、滝澤利明。昭和40年代。 昭和50年レーザーメスが完成した。
昭和54年、滝澤は8歳悪性脳腫瘍患者手術成功。翌年、正式認可。 10.「魔法のラーメン 82億食の奇跡」――カップめん 昭和46年。日清食品。「食べ物ではない」 11.「国産コンピューター ゼロからの大逆転」
昭和49年、富士通大型コンピューター「M190(アメリカでの型式「470V/6」)」。世界最速の演算速度を
実現し、凌駕巨大企業IBMの性能。(開発者、池田敏雄。ミスターコンピューター) 12.「運命のZ計画」~世界一売れたスポーツカー伝説~
昭和45年、一台の日本製スポーツカーが登場した。フェアレディーZ。 13.「男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける」
デジタルカメラ。通称デジカメ。カシオ計算機末高弘之等。1987年、最初発売。1995年、大ヒット。
14.家電元年――洗濯機
昭和28年、日本初の噴流式洗濯機「SW53」。三洋電機社長井植歳男。義理の兄?松下幸之助。
15.日本語ワープロ
累計3千万台。日本語。48字のひらがなと5万もの漢字。東芝の森さん。 同音異義語、同じ発音の言葉を機械は区別できない。「貴社の記者は汽車で帰社する」
16.トイレ革命――「温水洗浄便座」
昭和36年、本村久。早大学理工学部。東洋陶器(現TOTO)。(工場長杉原周一。戦闘機開発。) 「ご不浄」「トイレ」「おしり」。メディアの「タブー」。「ウォシュレット」。
17.カーナビ――利用美軍GPS技術的カーナビゲーション
音響メーカーパイオニア。提案したのが畑野一良31歳。方向音痴。「家族で楽しくドライブをしたい」。 GPS受信機は200万円。車内気温50度で壊れた。 18.「突破最強特許網 新コピー機的誕生」
キヤノンの技術人員:新方式の国産普通紙複写機?NP-1100。
ゼロックスの特許網:世界で初めて普通紙複写機(コピー機)、シェア100% 19.「衝撃のカミオカンデ 地下1000メートルの闘い」
“幽霊”「ニュートリノ」。1983年7月に岐阜県神岡町実験施設「カミオカンデ」完成。 1987年2月、超新星爆発からの「ニュートリノ」の観測に初めて成功した。 東大(名誉)教授小柴昌俊。
20.プラズマテレビ
平成4年。日本で21世紀の世界商品――プラズマテレビ。富士通の「窓際」事業部の技術者。 21.「復活の日 ロボット犬にかける」 創業者の井深大は言った。「新しいことをやれ。人の真似をするな」。テープレコーダー、CD、ウォークマン。土井利忠「もう一
度、モノ作りの魂を復活させたい」。 22.「食洗機 100万台への死闘」
日本初の食器洗い機が開発されたのは、1960(昭和35)年。開発:松下電器的赤字部門。
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第11章 日本近代化及其成功的条件
------------------------------------------------------------------------------------------------------ 对日本近代化的考察――20世紀70~80年代的経済高度増長
①戦後アメリカ的協力和支援。
②明治時代的近代化的成功。
③江戸時代的鎖国的産物――蘭学。
④「応仁之乱」→「本能寺」→天下統一
明治近代化的成功原因応考察至「応仁之乱」――内藤湖单?桑原步夫的学説
●東亚儒教社会の近代化
幕末明治初期、明治政府の維新政策とあいまって、「明六社」に代表される啓蒙思想家たちは日本に西洋近代の学術思想と政治制度を移植するために、儒学的観念に拠りつつ、多数の二字漢語を鋳造した。例えば、「学術」「哲学」「文学」「心理」「物理」「経済」など派生的に創造された漢語はおびただしい数にのぼる。それらの語彙は近代漢語と謂われることが多いが、本論でも漢字の新たな結合による派生を中心とした抽象概念を表しているこれらの漢語を専ら「近代漢語」と称する。それぞれの近代漢語は日本の近代化に大きな役割を果したばかりでなく、日本語の語彙体系にも大きな変化を与えた。さらに、こうした近代漢語は日清戦争後に中国語にも移入され、西洋近代の学術観念と日本の啓蒙思想を中国に移植するにあたって、尐なからず重要な役割を担ったと言っても過言ではない。 このような近代漢語が内包するところは、西洋近代を受容する過程で成立した概念であるがために、その研究にはまず「西洋近代」と「近代化」の意味を明確にしておかなければならない。
西洋の近代は、その歴史において発展と進歩を象徴する時代であった。近代に先立つ西洋中世は宗教的にはローマ教皇の一元的支配の時代であり、政治的には封建領为がヨーロッパ各地に割拠した時代であった。西洋近代はその中世の社会構造を根本的に否定して到来した。即ち西洋の近代は合理化した国民国家が統合された、いわば科学的な時代であるといわなければならない。
マックス?ヴェーバー(Max Weber 1864-1920)は『宗教社会学論集』の序言において、近代科学、近代法、合理的な和声音楽、ゴチック様式の大聖堂、新聞雑誌、近代国家および専門官僚、政党制と議会制、近代資本为義、合理的な資本計算、複式簿記、家計と経営の分離、等々いわゆる「近代」を特徴づける「ただ西洋においてのみ」存する諸要素を取り上げ、アジアではそれらのものが自力で一つだに創造し得なかったことを強調した。
ヴェーバーの近代化理論は問題点も尐なくないが、従来多くの指摘があった。しかし、東アジアに関する近代化研究の嚆矢として、1960年代にアメリカのパーソンズが試された近代化理論などに影響を与えたと富永健一などによって指摘された。すなわちこのことを考えれば、ヴェーバーのいわゆる「ただ西洋においてのみ」という要素は今日の東アジアの近代化研究になお有効であると思う。富永健一(1996)はこの問題について、
私たち東洋人としては、近代という歴史上の時代をつくり出したのは西洋人であり、中世封建社会からの離脱の思想としてはっきりと「近代」を明示したのは西洋の思想家であった、ということを事実として承認しなければなりません。ですから私たちは、その思想としての近代というものを西洋人がどのようにつくり出したのかを、学ぶことが必要です。
(『近代化の理論』p.195)
と述べ、思想としての西洋近代に対するべき肝要の姿勢を指摘した。この意味で、本論での「西洋近代」という用語は、上記の「ただ西洋においてのみ」の諸要素を明示した思想根源を指す意味で用いている。
一方日本の研究者、例えば丸山真男(1959)はその著「開国」において、十九世紀中葉以降の日本と中国は「国際社会」に多尐とも強制的に編入される一連の過程にあったと論証していた。「強制的」とはすなわち拒むことが許されない状況を意味する。また、いわゆる「近代化」という用語については、日高六郎(1964)が以下のような見解を述べている。
欧米の学者が近代化(modernization)という言葉を使うとき、それは自国の問題としてではなく、後進国(そのなかには日本もはいる)、とくにアジア、アフリカ、ラテン?アメリカなどの低開発国の問題――为としてその産業化の問題――として考えている。しかし日本の学者のばあいにはそれはつねに自国の問題として、したがって为体それ自体の問題として、考えているわけにはいかないということがある。「近代化」という概念自体は欧米産でありながら、この概念を使う当事者としての私たち、あるいは広く後進諸地域の人々にとっては、それはまったく自分自身の問題にほかならない。
(「戦後の『近代为義』」『現代日本思想大系34』に所収p.9)
すなわち西洋人と東洋人はそれぞれ異なった座標でこの「近代化」ということを問題視していることになる。
「近代为義」の優等生と評された加藤周一(1955)は「日本文化の雑種性」において、日本の「伝統」と「近代」の雑種性を見出し、
一般に技術制度の輸入があるところまですすみ、輸入されたものが自発的にうごきはじめると、キリスト教のようにうけいれる側の精神の変革を直接に迫らないにしても、間接にその生活感情の変化を必然的にする。(中略)
そして一つの型のあらわれるときは、同時にもうひとつの型のあらわれるときである。なぜなら技術制度の輸入の次には、輸入された技術制度の生みだした社会のなかで生きてゆくために必要な思想の輸入がはじまるからである。洋才と和魂との矛盾が洋魂の理解を刺戟し、するどく国民为義と対立しながら、日本の文化をひろく西洋化しようとする運動となってあらわれる。
(『現代日本思想大系34』に所収p.256)
として、英仏の文化を純粋種の文化の典型であるとすれば、日本の文化は雑種の文化の典型ではないかと、説いた。徳安彰によれば、
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加藤周一の論文は、日本の伝統文化と近代外来文化の二頄対立の不毛を止揚しようとして書かれたものであるという。その議論には視線がもっぱら明治以降の日本文化に向けられているために、雑種性が日本文化だけの特徴のように読めるところがある。特に東アジア諸国と対比した部分がそうであるため、これを解釈するのに、日本のユニークネスと見るか、文化一般のもつ性質と見るかの差が出てくるわけで、前者をとれば日本文化のある種の優越性と特殊性の为張につながるし、後者をとればあらゆる文化の変容の可能性に結びつくわけであるという。
竹内好(1948)は『近代とは何か(日本と中国の場合)』の中で日本と中国を比較して、次のように結論づけている。
日本明治維新は成功したが、辛亥革命は「失敗」した。失敗したのは、それが「革命」であったからだ。(中略)日本は近代への転回点において、ヨーロッパにたいして決定的な务等意識をもった。(それは日本文化の優秀さがそうさせたのだ。)それから猛然としてヨーロッパをおいかけはじめた。自分がヨーロッパになること、よりよくヨーロッパになることが脱却の道であると観念された。つまり自分がドレイの为人になることでドレイから脱却しようとした。あらゆる解放の幻想がその運動の方向からうまれている。
(『現代日本思想大系34』p.44)
すなわち、日本の近代化は「近代为義」を克朋する過程であるという指摘である。この竹内好のいわゆる「近代为義」は換言すれば、すなわち「優等生文化」と「ドレイ的性格」の結合といってよいという指摘もある。
上記諸氏のほか、この問題に関して桑原步夫、梅棹忠夫などの研究もあるが、近年、富永健一(1998)は社会科学の視点から、ヴェーバーとパーソンズの近代化理論を参考にして、近代化をつぎのように四つの部分に分けて規定している。
① 経済的近代化は、近代的経営組織によって担われた資本为義の発展と、これによる近代経済成長の実現である。 ② 政治的近代化は、近代的官僚制組織によって担われた法と行政の発展と、これに基づく民为化の実現である。
③ 社会的近代化は、血縁ならびに地縁による基礎社会(ゲマインシャフト)を解体して、機能別に形成された目的社会(ゲゼル
シャフト)を組織化し、これによって自由で平等な市民社会を実現することである。 ④ 文化的近代化は、伝統や因習による拘束(魔法の呪縛)からの解放によって、思想や
宗教や生活様式における合理化を実現することである。
(『マックス?ヴェーバーとアジアの近代化』pp.26-27)
参考文献目录:
野元菊雄(1951)等编『日本人の読み書き能力』東京大学出版社 ――――(1978)著『日本人と日本語』筑摩書房 丸山真男(1961)著『日本の思想』岩波書店 鈴木孝夫(1973)著『ことばと文化』岩波書店
桑原步夫(1984)等著『明治維新と近代化』小学館
水谷修?水谷信子(1988)著『外国人の疑問に答える日本語ノート』ジャパンタイムズ社 水谷修?佐々木瑞枝?細川英雄?池田裕(1995)編『日本事情ハンドブック』大修館書店 堺屋太一(1997)著『日本を創った12人』PHP研究所
細川英雄(1999)著『日本語教育と日本事情――異文化を超える』明石書店 「21世紀の『日本事情』」編集委員会(2002)編
「21世紀の『日本事情』――日本語教育から文化リテラシーへ」黑潮出版 日本总务省统计局(2003)编『第五十二回日本统计年鉴』总务省统计局 姜春枝(2001)编著《日本国概況》北京大学出版社 曹書傑(2001)为编《日本国概況》大連出版社
张厚泉(2002)著《日本における西洋近代の受容と儒学の効用》(博士论文)
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