(9) 太郎は始終笑う。
日本語と中国語は意味Aで一致するが、意味Bは違う。
〔類義語対照:始終――しょっちゅう〕
「しょっちゅう」と「始終」は、同じく「頻繁」の意を表すが、「しょっちゅう」は行為・動作の間に絶え間があるように感じる、「始終」は絶え間が感じられない。
(10)a. 父はしょっちゅう釣りに行く。
b. 父は始終釣りに行く。
(11)a. 次郎はしょっちゅう時計を見る。
b. 次郎は始終時計を見る。
(12) a. 三郎はしょっちゅう「きれいだね」と直美をほめる。
b. 三郎は始終「きれいだね」と直美をほめる。
[同じ行為・動作でも、「しょっちゅう」は正常、「始終」は変。たとえいいことでも、頻繁にありすぎると、嫌がられるようになる。類義語の役割分担および語の意味(頻度)に対する心理によるものである。]
3、 「大体(だいたい)」
Ⅰ、中国語における意味:
A、物事の主要で基本的な方面から、全体の様子をまとめて判断・把握することを表す。おおかた。おおよそ。ほとんど。たいてい。
(13)僕の論文は大体出来上がっている。
Ⅱ、日本語における意味:
A、細かい点を切り捨てて、物事の主要な面からその全体をまとめて判断・把握することを表す。おおよそ。ほとんど。大抵。
(14) 新聞の記事を読んで、事件の様子は大体分かった。
B、端数を切り捨てて、まとまった整数を数えることを表す。大約。約。
(15) あの橋の長さは大体100メートルぐらい。
C、根源に逆上って、問題を掘り下げる、或は断定的に物事を決め付けたり、相手を非難
したりする気持ちで用いる用法。マイナスのことについて議論する場合に使われる。
(16)a.大体人間は多かれ少なかれ動物性を持っているものだ。
b.今回の争い、大体は君の責任だ。
c.みんな朝起き起きられるのに、君だけ起きられないなんて。大体君は怠け
者だ。
日本語の3つの意味は、全体像を基本的に把握した上で発した判断という点で中国語の意味と合致する。日本語の意味cには「断定的に議論しよう」とする態度と「相手をせめる」気持ちという二つの主観表現がありうる。
前者は字面原義からきたものである。総体の角度から物事の状況・数量などに対する総括という日中共通の基本的意味用法から、物事の原因・本質など複雑な事態をまとめて、総体的に把握・判断するまで引いて出来たと考えられる。細かい所は行ってないものの、総体的な模様を把握しているから、かなり自信を持って言えると確信して、自分がまとまった結論を導き出すという気持ちを表したのである。
後者は前者に由来する。相手のこと(特にマイナスの面)を断定すると、せめる言葉が出なくてもせめる感じが出てくる。[大体]に「せめる」という新しい主観表現の成分が現れる原因は、「相手」と「マイナスのこと」という二つの付加条件(言語環境)にあるのである。