中熟语的精髓意思,只需将其译出即可。关于此点,许均曾经提出“实践上的‘可译’与理论上的‘不可译’”([5] p263)的理论观点。比如: 1) 他是专攻历史的,你却跟他大谈美学,这不是对牛弹琴吗?
彼は歴史が専攻だが、君が彼に美学についてくどくど言うのは大間違いだよ。([6]p55)
1)例中的“对牛弹琴”在第一版《新华词典》中解释为“比喻对不能理解的人白费口舌、力气。有看不起对方的意思。现在也用来讥笑说话的人不看对象。”“間違い”在第一版《日中辞典》中其中文意思是“错误,过错”。在其前加上接头辞“大-”用以表示其程度之大。尽管日文中有对应的惯用语表达“馬の耳に念仏”但在口译时如果没能及时想到这个表达,使用“大間違い”意思也是准确的。
一中所述,歇后语具有特殊的结构
6
形式,翻译歇后语时,通常对其前一段采取直译法,而后一段会根据情况采取意译法。比如:
2) 嗑瓜子嗑出虾米来——碰到好仁(人)了ka guāzǐ kachū xiāmǐ lái——pang dào hǎor?n(r?n)le うりの種をかじったら、えびが出てきた——好い人と出会った
3) 猪八戒的脊梁——悟(无)能之背(辈)Zhū Bājiè de jíliɑng——Wú(wú)néng zhī bèi(bèi)
猪八戒の背中——無能のやから
4) 修锅匠补碗——吱咕吱(自顾自)xiūguōjiàng bǔ wǎn——zī gū zī(zì gù zì)
鍋直しお碗の修繕をする——自分のことだけ考える ([7] p103)
采用这种复合翻译方法是因为中文
7
歇后语的主要意思在后一段,并且在后一段中经常采用“谐音”、“双关”、“比喻”等辞格表现。笔者认为,在保证意思准确的前提下,较之“比喻”,“谐音”与“双关”的翻译几乎是不可能完成,一般在目标语中几乎找不到。Forster曾说过“翻译出来的双关语,尽管译笔巧妙,但并不是原来的那个双关语,而只是反应原作使用了双关语这一事实。原语中的那个双关语可能是无法翻译的。”([8] p155)
翻译最根本的目的是要实现“意义传达”与“异文化交流”,以上两种方法,意译法基本实现了“意义传达”这个目的,但对于上述的直译法,笔者认为仅仅是达到了表面上的“异文化交流”。真正意义上实现“异文化交流”的目的要通过下述方法——借用法——才得以实现。
(三)
借用法(Adoption)
“借用”在《广辞苑》第五版中解释为“借りて使うこと”。“借用法”就是译者在翻译熟语时在目的语中找出与原语表达同样意思及情感的熟语。使用
8
“借用法”,可以最大程度地接近奈达的理想翻译②,但是这种方法要求译者不仅掌握大量的中日熟语,并且使用准确。比如:
5) 所谓“欲速则不达”,我正从基本练习开始重新做起。 「急がば回れ」で、基本練習からやり直しているところだ。
(倉持保男·坂田雪子(著)庄鳳英(訳) 『必携慣用句辞典』 p.28)
6) 彼此坦诚相待,谈判比预想的顺利。
魚心あれば水心で、思ったよりうまく交渉がまとまった。 (同上 p.43)
7) 总算功夫不负有心人,终于能够胜任现在的工作了。
石の上にも三年で、どうにか仕事も一人前になってきた。 (同上 p.28)
由以上例句可以看出使用借用法,在译文中不仅使用意义等值的熟语,而且未影响到语言的形式及美观③。因此笔者认为“借用法”是一种对原文及译文表示尊敬的解决方法,因为该方法不仅实现了意义的等价交换而且也保留了各自语言中的文化特色部分。
部分学者认为“借用法”应是属于“意译法”的,但作者认为“借用法”是较之“直译法”更加具体,较之“意译法”更加准确的,使不可译变得可译的行之有效的解决方法。表2中以中文熟语为例,同时列出使用借用法与意译法翻译出的译文,其中伯仲仅供同仁斟酌。例文出自近藤千雄的《おもしろ日本語――一口ほんやく塾》当中的204项熟语。(其中使用直译法译出的译文暂不讨论)
②
SはSource、つまり原書発言者、筆者、MはMessage、つまり、原書の伝達されることば、RはReceptor、つまり原書の読者である。s、m、rは別々に訳書の筆者と伝達される言葉と読者を代表する。翻訳というのは、二つの言語をまたぐ言語活動であり、翻訳者は原書の読者としてのRの位置と、訳書の著者としてのsの位置を兼任することになるのである。ここで翻訳者は次の点に気を遣わなければならない。それは、訳書mが訳書の読者rに対する関係が、原著Mが原語の読者Rに対してもつ関係となるべく同じになるようにする、という点である。つまり、ナイダが理想とする翻訳はM:R=m:rを満たす翻訳である。 ③
日本語の諺は音律の上で定型がなく自由であるが、覚え易さを旨としているためか、ある程度の傾きはある。七音、七音?五音、七音?七音(及びこれらを基にした破調)が最も多く、五音、五音?七音、五音?五音(及びこれらを基にした破調)がこれについでいるが、数の上では、前者にはるかに及ばない。例えば、七音では、「論より 証拠(四?三)」、また七音?五音、七音?七音、及びこれらの破調では、「塵も積もれば 山となる(七?五)」、「鷹は飢うれど 穂をついばまず(七?七)」、「のど元過ぎれば 熱さ忘るる(八?七)」([9]p56 )
9
表2: 中国語熟語 头脑昏聩 日本語の対応 している熟語 焼きが回る 意訳したもの 頭がぼける 才能が持っている人は見せびらか真人不露相 能ある鷹は爪を隠す さない 明日黄花 六日の菖蒲?十日の菊 意味がない?用がない 猫に小判?馬耳東風?道理をわきまえない人に道理を説对牛弹琴 馬の耳に念仏?暖簾にく 腕押し?糠に釘 远水救不了ゆっくりした措置では急場の間に二階から目薬 近火 合わない 紧要关头
作者认为翻译这些熟语时,与其意译不如借用,这样不仅准确而且翻译的日文更加形象生动。但是在没有对应的熟语表达或在口译时一时想不到的情况下,可以使用直译或意译。
二、 总结
翻译是异文化间理解和交流的重要手段之一。而熟语是一个民族在历史长河中凝结而成的文化结晶,是本民族有代表性的语言。越是民族的才越是有特色的,才越能充分表达本国传统文化。中日两国尽管语言文化相近,但依然存在着异质性,这些异质性便造成了中日两国翻译上的障碍。本论文提出了三种解决方法。即:直译法、意译法和借用法。其中借用法,是在目标语当中寻找与原语具有相同的语言文化功能的较为全面的解决方法。本论文认为对两种语言不负责地简单转换是对语言的不尊重,所以“借用法”是一种尊重原语与目标语的最佳解决方法。准确地翻译好熟语,有利于中日两国语言学习者了解中日传统文化及语言文化,有利于中日两国的友好交流。
イザ、鎌倉 瀬戸際 10