ぼくの靴音-堂本刚

2018-11-22 22:40

物语の始まり

これから流れる言葉や时间、感情などは、僕が日々生きている世界そのものです。堂本刚は何を考えて生きているのか、何を動力としているのか、何を悩み、何を笑うのか...たくさんの物語を想像して戴きたくて、今、この“扉”を開きました。 人间という動物は、色んな種類に分けられます。僕という動物も、现在、この文章に瞳を走らせているあなたという動物も、その色んな種類の中の一つ。それで、これから、理解不能な物語、心底共感する物語、涙が止まらない物語など、ありとあらゆる“旅”を御紹介するにあたって、最初に申し上げておきたい事があります。

堂本刚という人间は、超が付くほどネガティブな動物です。

場面によってはポジティブだけど、基本的にはネガティブ思考な男です。それを理解した上で“旅”を乐しんで下さい。では、早速ですがスタートしましょう。

この顷の僕は、自分についてよく考えます。九八年はそうでもなかったのですが、以前は、余計な事に気を回したり、自分に嘘をついたりしたため、自分が壊れてしまう事がありました。僕という人间は、自分の意見をあまり言わず、他人の意見に不满を持っても、特に“触らず”な性格なのです。それで、ストレスなどという目に见えない荷物が、知らぬ间に心の中に蓄積しやすいのだと発見しました。だから、もっと自分に優しく生きたい。 僕のように、自分の性格に息切れを感じている人は数え切れないほどいるでしょうが、僕は、最近、こんな自分でも好きだと思える時があります。それは、こんな言葉が浮かんだ時。“強い人间にならなくても良い。弱くたって、ここぞという大切な瞬间に強くなれたら、それで良いんだ”とか、“强くなった分だけ、自分の痛みや他人の痛みに気付けなくなるのは嫌だ。柔らかい心を失う事が强さなら、弱いままで良い。弱い自分に感謝感謝だ”とか…。

青く澄んだ空を仰いだ時や、黄昏時の町を步いた時などは、この言葉と景色とが重なり、心の底から自分を爱する事が出来る。純粋な自分に戻れる。そして、こんな事を言ってる自分も大好きです。 小さな掌

この间、急に休みが出来たので、家の近所を散步

しました。二十分くらい步いたでしょうか、前の方から、手を强く握り合った親子が笑颜を抱えて步いて来ました。母亲は少し疲れた颜をしながら、買い物袋をぶら提げています。そして、大きな欠伸(あくび)を一つ。すると、子供は、お母さんを励ますように言葉を挂けました。

“お母さん、大丈夫?ほら见た、空があんなに青いよ”

お母さんは、さっきの欠伸をごまかすみたいに“お口に虫が入っただけ。大丈夫よ”と答えました。

僕は、普段、流れの速い时间の中に身を置いて過ごしてるので、こういう静かな場面に出逢うと、ふっと心が和みます。

社会に出て仕事をしていると、嘘や矛盾といった、僕が大嫌いな場面を見かけます。たとえ自分は大人になってもそんな場面は演じまい、そう胸に誓って生きて来ましたが、十九岁の今、この世界で自分を守るため、無意識のうちに自分が大嫌いな場面を演じている時がある。そんな時、我が身を責める自分と、なくさめている自分とが、心の中で戦い続けます。最終的には落ち着くのですが、出来るなら、こういった自分には出逢いたくないものです。

さきほどの話に戻りますが、子供が母亲に赠った素直な爱のプレゼント。些细な事かも知れないけれど、そのプレゼントの箱の中の“空が青いよ”という真っ直ぐな言葉に心を打たれました。子供というのは、小さな幸せを见付けるのがとても上手くて、大切にしているし、身体中でそれを感じる事がどれだけ楽しいものなのかも知っている。なおかつ、その事を僕たちに教えてくれているような気がします。例えば“空が青いよ”の一言で…。

堂本刚は、もうすぐ二十岁になりますが、良い意味で、しっかり大人へと步いて行きたいと思います。三十代、四十代の扉を開いた時でも、小さな幸せの詰まった鞄を力强く握り締めて進んで行きたいと思います。

そう、子供が亲の手を握り缔めて、小さな手のひらと同じ力强さで…。 言叶

凄く前の话にながる、仆はフォークギター片手に、独りで公园へと出挂けた。风は少し冷たく、辺り

は落ち叶の床だった。仆はそこをゆっくりと步き、目の前に立つ大きな木の下へ目标を定めた。深く腰を下ろし、先ず“Fmaj7”を弹く。独りはなんだか寂しいが、こういう时间は嫌いじゃない。空は青く澄んでいて、まるで海を逆さまにしたようだ。目を闭じて、しばらく空を仰ぐ事にした。 三十分は休んだだろうか。鸟の鸣き声が、眠りから目を觉まさせた。水辺で优雅に泳ぐ水鸟が、カラス达にいじめられていたのだった。直ぐさま助けに行こうとする自分と、彼等の世界に手を加えてはいけないと思う自分とが、心の中で斗っていた。カラスは、するどいくちばしで威吒し续けるばかり...。

と、その时、突然、中学时代のある一场面が记忆の中で再生された。

记忆の中主人公は、部活の仲间が下校途中で买い食いした事を担任の教师に言い付けた。その日から、彼に对するいじめが始まったのだった。言叶の暴力だけでなく、あらゆる攻击の波が彼を袭う。それでも、彼は、自分に自信を持ち、后悔はしていなかった。そんな风に强い彼が羡ましく思えた。仆は彼と大亲友だったので、一生悬命にかばい、励ました。彼が大亲友でなくてもそうしただろうが、本当に痛々しい日々だった。何故なら、いじめている人间も、仆の大亲友だったからだ。色んな方法で步み寄ったが、何も变わらず、仆は东京へ转校してしまった。最后に电话で话したきり、彼の声を闻いてない。

人间以外の动物の弱肉强食を颔けるけれど、人间世界での弱肉强食には颔けない。それはどうしてか。

人间には言叶があるからだ。言叶を使って、たくさんの人间の心を救える筈だからだ。 仆达は、言叶で人を励ましたり、时には伤付けたりもする。仆は、言叶という大切な宝物で、これからもたくさん话し。歌って行きたい。その事によって、仆の周りの人达を救えるのならば…。 ココロノアザ

何时ものように日が升り、街が动き出す。 休日の为、道路に车は少ないが、昼时ともなると、人々は日々抱え迂んで来たストレスや苦痛などを吐き出す为に街へ姿を现す。仆もその中の一人として、街に出た。仆が选んだのは、ファミリーレストランで本を读みながら、ゆっくり昼食をと

るといった形だ。先ずはメニューを开き、十五分くらい挂かっただろうか。优柔不断な仆は、食べたいものがなかなか决められず、何时もこの有样だ。やっとの思いで、デミグラスソースハソバーグにライス、ちょっと合わないが、アイスミルクティーを注文した。そして、阳が射し挂かる窗际で、静かに读书を始め、优雅な时间を乐しむ旅に出た。

すると、后ろから、それを坏すかのように大きな物音がした。

五岁くらいの子供である。子供の事だ、仕方あるまいと思った时、その子の父亲の手の平が飞んだ。その手の平は、真っ直ぐに子供の颊に吸い迂まれて行く。仆の中で时间が止まった。

何もそこまで…と思いながら、子供の颜を见た。口をきゅっと结んで、堪えている。更によく见ると、子供の身体には、痛々しい痣があちこちに散っていた。游んで转んだ时に

出来た痣ではなく、明らかにぶたれて出来た痣が腕や足に…。

父亲は、何もなかったと云わんばかりに席を立ち、お金を払って出て行った。子供は入り口にある玩具にちらっと目线をやり、付いて行く。よっぽど玩具が欲しかったのか、足早に步く父亲の服を掴んで、一生悬命、父亲の步幅に合わせながら、机嫌を取るように笑颜で去って行った。 なんだか凄く寂しい气分になり、しばらく读书も食事も进まなかった。

旅は少し休憩して、仆は考えた。玩具をしつこくねだったあの子供よりも、ものを食べながら读书している仆の方が、よっぼど行仪が恶いんじゃないか、と。あの子供は、ただ素直に父亲に甘えただけであって、何处も恶くないのだ、と…。 雪

一九九九年一月二十四日。仆は、ドラマの仕事の为、八王子の山奥に居た。

阳はうっすら射しているものの、风はとても冷たかった。その场所で、二时间程が过ぎただろうか。空から无数の赠り物が届いた。仆は、それを手の平に乘せ、感动を隐し切れずにいた。その赠り物は、冷たいのに、何故だか心安らぐ温かさを持っている。そして、白く、小さく、儚い…。

周りの人达の间には、やるせない颜、どうでも良いという颜、色々复杂な表情が浮かんでいた。

そうなるのも无理はない。この赠り物の御荫で、撮影が中止になってしまうかも知れないからだ。“せっかく远い所まで时间を挂けて来たのに、途中で止めて、また撮り直しに来るなんて勘弁だ”と口に出す人も多かった。、

が、中に、一人だけ心跃らせているやつが居た。そいつは、堂本刚という根性なしの男だ。“もっと降れ、もっと降れ。たくさんたくさん积もって下さい?”その男は、心の中で天に强く愿った。

その日、仆は、眼に泪を浮かべて、归り道を步いていた。“此处を步くのは、今日で最后になるかも知れない”と考えながら、缓い上り坂になっているその道をゆっくりゆっくり步いた。胸が痛くて、切なくて、でも、どうしようもなくて、なんだか悔しかったのを今でも觉えている。仆は、友达に别れを上手く告げられないまま、育った街を离れようとしていた...。 梦を掴む为に选んだ道は、险しかった。たくさんの心配颜や不满颜を无视して、强く强く愿った。

そして、赠り物は、たくさんの人达の气持ちを里切り、どんどん降り续けた。

しかし、中止になりそうな空气がい一瞬流れたものの、撮影は、なんとか无事に终了。冷えた身体を温める为、人々は锅を围み、食事を摄った。吐く息が白く舞う中、笑い声が绝えない。皆、仕事を终えた满足感でいっぱいだ。

その时、こんな言叶が耳に入って来た。 “こんなにたくさん降るなんて、我々に何か恨みでもあるんですかねぇ。全く、今日の空は恶戏っ子だなあ”

そうじゃない。何故こんなにたくさん雪が降ったのか。それは、堂本刚が空に强く咒文を挂けたからなのだ。

その事には、谁も气付いていない。 そして、本当の恶戏っ子は、空ではなく、この仆だという事にも…。 晴れたら良いな

ある番组が切っ挂けで、二年ぐらい前にギターと出逢った。最初は、练习がおっくうだった。二カ月程经つと、なんとか弹けるようになり、乐しくなって来た。ちょうっと调子に乘って作词?作曲してみようと思い、出来上がったのが‘优しさを胸に抱いて’という曲。至って单纯明快な、别れの歌だ。

作ってみて、とことん自分は暗い人间だと感じたが、この曲を好きだと云ってくれる人も多かった。正直嬉しかった。

が、この曲を何度も听いているうちに、ふと、とても寂しい气持ちになった。歌词にある“别れ”の二文字が耳に残り、歌の内容と直接关系はないのだが、中学校の归り道の记忆が头をよぎったのだ。

东京という大都会に住むようになり、初めに半年程は、每日お腹を坏していた。气が小さいので、色々考え过ぎでしまっていたせいだろう。直ぐ自分嫌恶に陷る自分が出て来るので、困った。

でも、そんな自分だからこそ、今の家族が居て、亲友が居て、仕事仲间の人达が居て、应援してくれている人达が居る。

その事を、仆は、何よりも夸りに思っている。“クソ”が付く程幸せな男だ! 人间は、追い诘められると、自分は独りだと勘违いする癖がある。多くの人达に支えられている仆でさえ、そんな风に思ってしまう时期があった。

だけと、そうじゃない。

そう考えてしまうのは、自分にしか意识が向いてないだけの事だ。それ程までに伤付いてしまっているからだろう。

そんな时こそ、周りの景色を注意して见ようと、今、仆は思う。谁かに甘える事を腹立たしいと感じる自分が居る。でも、弱音を吐く姿も、泪する姿も自分なのだから、その时その时の自分を爱してあげよう。人は、独りでは梦も希望も爱も…何も手に出来ない弱い生きものです。

争い事がなくなり、皆が仲良く助け合いながら步いて行けたら良いな。

そして、明日、晴れたら良いな…。 木

仆、堂本刚は木が大好きだ。大地にどっしり根を长って生きている木が好きだ。“雨ニモマケズ风ニモマケズ优しく强く无欲な男”…というフレーズが、あるバンドの歌出て来るのだが、仆にとって、木は正にそんなイメージだ。 ぶらりと公园に行くと、必ずと云って良

い程、绿の叶、季节によっては色付いた叶で着饰った木々达が出迎えてけれる。そんな木々达に围まれて、ただぽつんと座っているだけで、つい最近、ニュースで闻いた话がある。书こうか书くまいか恼んだが、腹が立ってしょうがないので书かせて贳う。

心が凄く落ち着く。

まるでお风吕に入っている气分…。真冬だろうがやっぱり温かさがあり、なんとなくポカポカして来る感觉がとても良い。

时には、木々达に见守られながら、眼を闭じて、两手を大きく广げ、头の中で空を飞んでみる。こうした空想を描いては、仕事で溜まったストレスを洗い流す。いずれは、自然に包まれた场所で暮らせたら良いなあと思う。 ある人に闻いたのだが、木には、人のストレスなどを和らげる力が确かに备わっているらしい。だから、铁筊コンクリートの家で暮らしている人达と、木造の家で暮らしている人达とでは、ストレスの溜まり具合も惊く程违うというのだ。成程と思う。木は、元々、何につけ余计な事を考えがちな仆には、持って来いの友达かも知れない。

これから二十代の扉をノックして步いて行く仆の生活は、自然を普通以上に求める事になるだろう。何时の间にか作られた、もう一人の“堂本刚”と向き合って行く为には、たとえそれを拒んだとしても。何时しかそうなって行くに违いない。

だって、今の世の中、解らん事だらけやから。

本当は、作られた“堂本刚”なんて要らない。ありのままの自分で、たくさんの事を感じたり、作ったり、爱したり出来れば良い。そう、木々と一绪に居る时の仆のように、息苦しいものは脱ぎ去って、胸张って步いて行きたい。 “パパの背中って大きね”

自分の子供が、お风吕でこんな风に呟いてくれたら、凄く凄く嬉しいと思う。 命あるもの

命。こうして文字にしたり、口に出して一言で云ってしまうのは简单だが、命という言叶は、物凄く大切なのだという事を、たくさんの人达に、世界中の人达に、再确认して贳いたい。 今现在、复杂なこの社会で、教え切れない程の命が消されたり、自ら消えて行く事になったりしている。

ある地方に“犬のポスト”があるというのだ。云わば邮便ポストに手纸を投げ入れるような感觉で、そこには犬が入れられる。ポストは七つの部屋に区切られており、一日经つごとに部屋をズラされ移动して行って。一周间后に犬はガス室へ辿り着く事になる。

犬の种类によっては十五年とか十六年以上生きられるのに、そのポストに入れられれば、蝉と同样、一周间の命に变わってしまう。运良く、饲い主が引き取りに来るか、新しい引き取り手が见付からない限り、决して助からない…。平气で犬をポストに入れる酷い饲い主が居るという事がショックでたまらなかった。 社会の中には、それこそ色んなルールがあって、本当に厄介だ。颔きたくなくても、仕方なしに颔くしかなかったり、相手を伤付けたくなくても、辛い思いで伤付けざるを得なかったり…と、嫌な事だらけ。

今、仆は社会に出たばかりで、知识も经验も少なく、あまり生意气な事は云えない。 でも、だからと云って、仆は仆なりに、仆の出来る限りの事をしていれば良いのだろうか…。 仆が表现出来る限りの世界を、ただ作って行けば良いのだろうか…。

こんな风に日々恼んでばかりだが、勿论、それだけでは驮目だ。仆の傍にも、ケンシロウという我が子のような子犬、そしてマニューという大型犬も居る。この二匹だけは最后までしっかり育てて行きたい。何时も近くで笑ってくれる、この二つの命あるものを大切にして行くと决めたのだ。

この文章を读んでくれている人の中で、もしも、命を消そう、命を舍てようなどと考えている人が居たら、是非とも、もう一度考え直して欲しい。そして、感じて欲しい、命あるものの温もりを…。

仆は、その事をたくさんの人に伝えたい。 とにかく、これが今、仆の出来る精一杯の事なんだ。 好きになろう

ちょっと前に、テレビで“蚁”の特集をやって

いた。虫は大の苦手だが、テレビで观る分にはOKだ。结局、何时ものように、怖いもの见たさで最后まで观てしまった。

惊いた事に、体长わずか数ミリの蚁达が、何メートルもある自分达の巢を作ってしまう。その蚁の种类(名前は忘れた)は、同じ方角に向かって巢を作る。口から粘々の液体を出して土などを运び、テキパキと巢を作って行く。女王蚁を守る为、そして、自分自身が生きた行く为、次々と巢を完成させて行くのだ。一生悬命な蚁达の姿を见て、生きる事の大切さを再确认した。“一寸の虫にも五分の魂”という言叶があるが、正にその通りと思わせる世界が、そこにあった。

必死で天敌と斗い续ける姿にも感动。仆も、必死に战おうと思った。

仆の今の敌は、自分自身だと思う。自分に胜たなければ、何も始まらない。

よく、あれが嫌いだとか苦手だとか…人は何故かそんな风に云ってしまう。だけど、口に出す前に、それに自分で近付いていこうとする气持ちが大切だ。仆も东京へ出で来てから、色んなものを克服したが、まだ少しだけ残っている。时间を挂けてでも良いから、それを好きになりたい。

嫌いなままより、好きになった方が得。だから、これから、たくさんのものを好きになって行きたい。抱き缔めたい。

相方が、古着のジーパンを穿けるようになったみたいに。 睨めっこ

“何かを守っていたい。自分以外の何かを守っていたい。そうでないと不安なんだ”友达が电话の向こうで呟しいた。

“どういう事?”仆が、寻ねる。 “仕事するようになって、自分が少しずつ变わって行くのが解る。例えば、权力の强い人间が、权力の弱い者に对して攻击している场面が眼に前にあって、もしもその权力の弱い者が俺だったらどうする?” “无论、かばうよ”

“自分の立场とか社会の仕组みとか考えても、本当にかばえるか? 本当に?” 确かに难しい。实际、かばい切れない场合

も多いだろう。でも…と思い、仆は云った。 “立场とかの前に、同じ人间だ。舍てられている犬に步み寄るのと同じで、助けてあげたいって气持ちは素直に出したいよ” すると、友达は、こんな言叶をぶっけて来た。行き场のない苛立ちが感じられた。 “人は、色んなものを手に入れ过ぎた。だから、争いや问题が出て来る。でも、そうでないと生きて行けないのかも知れないし、本当に难しい…。前向きに云えば、俺は社会に出て、自分を守る事が上手くなったのかなあ。…まあ、いいや。话して、なんだかスッキリした。また、电话するな”

友达は电话切ってしまった。 仆は、凄く切なくなった。

友达の真っ直ぐな气持ちが痛かった。痛くない筈の纯粹な气持ちが痛かった。 生きて行く上で、たくさんの壁がある。どうやって乘り越えるか。それは、周りの人达に力を借りて、最后には自分自身で乘り越える…そう教えてくれたのは、今电话を切った友达だ。前に仆が落ち迂んだ时、そんな事を云ってた气がする。

が、今は状况が逆。壁にぶち当たっている友达の背中を仆が押してあげる番だ。 “权力っていう眼に见えない力を、优しく放てる时代が来れば良いな”

以前、友达は、こんな事も云っていた。そういう时代が见えた时に、人は、心の底から自分を爱せるのかも知れない。 本当にそうなると良いな。

そうなれば、友达の笑颜も见られるだろうし、また、仆の相谈にも乘って贳えるだろうし。たくさんの自信を持って、感动っていう景色を作れるだろうし、皆にもそれを见て贳えるだろうし。

色んな事があるけれど、色んな事があって今の仆が在る。それは、本当に嬉しい事だ。だから、これからも顽张って、色んな壁と斗うんだ、睨めっこするんだ、笑うんだ。 そして、友达になるんだ。 少年

僕、、堂本剛は、女性と話すのが大の苦手です。いや、女性と話すのは大好きだし、凄く楽しい。


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