b. 犬に威嚇されても、けろりと無視すること。 七、次の日本語を中国語に訳しなさい。 (1)乘坐拥挤不堪的电车本来就令人不痛快。若是成千上万的上班人群几乎成了被塞进罐头里的沙丁鱼还能谈笑风生,那才让人觉得毛骨悚然呢! (2)正如柳田国男在他的著作中反复提到的那样,日本普通百姓在生活中向来鄙视喋喋不休的人,而视埋头苦干为美德。因此,很多日本人白白浪费掉了提高“说话艺术”的机会,这也是原因之一吧。
(3)据东大讲师聂郎氏说,当几个法国人在一起聊天时,常常会有人故意提出反对意见,因为马上赞同别人的意见会使谈话无法继续下去。这很富戏剧性,这样做可以提起大家的性质,活跃谈话的气氛。
而日本人一向认为 “少说为佳”,其中一个重要表现就是“不表明自己的态度”。例如,在某个发起人会议上,假设有两三名会长候选人。此时有人这样提议道:“大家彼此都很熟,人数也不多,我看选举就免了吧。那样做太见外。干脆推一个大家认为合适的人当会长算了,行吗?”经他这么一说,别人就很难再提出反对意见了。
(4)格罗布宁在《日本幽囚记》中这样描述他对日本人的印象:在日本,激烈地争论会被看作是十分粗暴和无礼的行为。通常,日本人会摆出各种各样的理由,彬彬有礼地表述自己的意见,甚至还会做出一副不敢相信自己的判断的样子。在反驳别人时,他们绝不会直截了当地说出来,肯定要绕弯子,而且多是以举例或比较的方式说出来的。
(5)日本人推崇沉默寡言,鄙视好辩解的人,尤其讨厌巧言善辨之举。或许受此影响,通常一见到会说话的人,就认定这个人光说不做,只会耍嘴皮子。因此,我们也应该注意,这样会导致一部分人出现欣赏拙于言辞之人的偏向。明治、大正时期的政治家岛田三郎思维敏捷、说话速度极快。他以在帝国议会上能言善辩而闻名,被人们冠以“岛田快嘴郎”的绰号。对此,德川梦声的评论却是,那个人没能高升都是因为他太能说会道了。 八、次の中国語を日本語に訳しなさい。(括弧の中の言葉を使うこと) (1)早い話が、ぜひご協力いただきますよう、お願いします。
(2)義務教育とはすべての国民が例外なしに一定期間の学校教育を受けることです。 (3)新中国が成立してから、水害や旱魃などの自然災害を予防するために、全国各地でおびただしいかずのダムを作り上げました。
(4)このクラスでは、学生の日本語会話能力が強いです。とりわけ、リーさんはぺらぺら話せるだけでなく、間違いも少ないです。
(5)ひょっとすると、日本で会えるかもしれない。
(6)雨が降ろうと雪が降ろうと蘇州のたびは計画どうりにする。
(7)実のところ、彼のような上海なまりの標準語は上海出身の私でもわからなかった。 (8)要するに、中日両国の友好は中国にも日本にも有利なことだと思います。
(9)健康であるには、毎日早く起きて運動することにこしたことはない。 (10)そういうことは多いから、ここではいちいち例をあげません。 九、実力テスト
次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 問一 (20点)
①ゆみ ②さいわ(い) ③まと ④ じゅくれん ⑤ こころえ 問二 (10点)② 問三 (40点)
①ただよい文章をのみ作ろうとおもってあせること。
②自分から正してかかること。 問四 (10点)小諸に
問五 (20点)よい文章を作るには、弓術のように自己を正すことが必要。
第七課 藤野先生 一、「藤野先生」をよく朗読しなさい。そして、次の語句の漢字にふりがなをつけなさい。 紅(くれない) 清国(しんこく) 辮髪(べんぱつ) 髪形(かみかたち) 色気(いろけ) 玄関部屋(げんかんべや) 洋間(ようま) 一間(ひとま) 床板(ゆかいた) 消息通(しょうそくつう) 明の遺民(みんのいみん) 客死(かくし) 根元(ねもと) 免除(めんじょ) 囚人(しゅうじん) 賄い(まかない) 訳本(やくほん) 古外套(ふるがいとう)
一両日(いちりょうじつ) 朱筆(しゅひつ) 添削(てんさく) 下博(かはく) 霊魂(れいこん) 纏足(てんそく) 畸形(きけい) 嘆息(たんそく) 郵便配達(ゆうびんはいたつ) 文面(ぶんめん) 汝(なんじ) 公開状(こうかいじょう) 冒頭(ぼうとう) 不遜(ふそん)
出題(しゅつだい) 末尾(まつび) 主命(しゅめい) 憤慨(ふんがい) 口実(こうじつ) 無礼(ぶれい) 匿名(とくめい) 弱国(じゃっこく) 低能(ていのう) 銃殺(じゅうさつ) 喝采(かっさい) 落胆(らくたん) 惜別(せきべつ) 近況(きんきょう) 年月(ねんげつ) 人格(じんかく) 督促(とくそく) 寓居(ぐうきょ) 一服(いっぷく) 二、次の各文中の片仮名の部分を漢字になおしなさい。
(1)花を入れたかごが、天井からツル(吊)してある。 (2)メンドウ(面倒)な仕事を引き受けた
(3)東京へ行った留学生はまずゲシュク(下宿)を探す (4)日本の農村ではケンギョウ(兼業)農家が多い (5)せっかくのコウイ(好意)を無にはできない (6)五、六人で費用をブンタン(分担)する (7)仕事はイチダンラク(一段落)を告げた (8)年のせいか、歯がだいぶヌ(抜)けた (9)秘密をモ(漏)らしてはいけない
(10)?万歳?とみんなが一斉にカンセイ(歓声)を上げた
(11)十年近くも費やした工事がやっとカンセイ(完成)した (12)あの人は車にヨ(酔)うので、めったに外出しない
(13)うまく行きましたら、ハクシュカッサイ(拍手喝采)をお願いします (14)公園の緑は都会の人の目をナグサ(慰)めてくれます (15)家が狭いから広い家にヒッコ(引越)しました 三、次の言葉を使って文を作りなさい。
(1)?にしろ?にしろ?この時間帯には、電車にしろ、地下鉄にしろ、乗客でいっぱいいた。
(2)現に?現に彼は昨日ここにいた。
(3)いっこうに?ない?三十分待ったが、彼はいっこうに現われなっかた。
(4)?ずにすむ?まもなく彼が来るから、わざわざそこまで行かずにすむのだ。 (5)?につれて?成長するにつれて、娘は無口になってきた。 (6)面倒を見る?家に帰ってから子どもの面倒を見るので、どうも本を読む時間はない。 (7)梨のつぶて?彼はイギリスへ留学すると言ったが、もう十年間に梨のつぶてでいる。
(8)勘違いする?勘違いして彼をあなたの弟だと思った。 (9)気にとめる?もしその仕事をやったら、気にとめなければならない。 (10)八方手を尽くす?彼は彼女からお金を取るために、八方手を尽くした。 四、言葉のきまり
(1)次の文の、————線をつけた言葉の意味は、あとにあげたA~Gのどれに当てはまるか、該当な記号を( )に書きなさい ①E ②D ③C ④G ⑤A ⑥F ⑦B
(2)つぎの文における主部、述部、修飾部、接続部、独立部を違った記号で示しなさい 主语 (主部) 谓语 (述部) 状语 (修飾部) 接续词 (接続部) 独立词 (独立部)
○ 難しい問題だったが、とにかく考えてみた。 ○ 急いだが、結局は遅刻してしまった。 ○ 文学は言葉の芸術である。
○ ああ、虫の知能というものはなんと奇妙なものではないか。 ○ 日本の風土はアメリカの風土とは異なる。 ○ 漢語には、同音語が多い。 六、文章を要約する練習
(1)形式段落第六段落の?以後、多くの先生にはじめて接し、多くの新鮮な講義を聞いた。??
から形式段落第二十二段落の「?やはり一度見ないとわからんね、どんなふうになるのか」までの内容は、藤野先生に対する筆者の初印象および藤野先生の学問に対する態度について述べられたものですが、それらの要点をつかんで、二百五十字前後にまとめてみなさい。 藤野先生は色は黒く、八字ひげをはやし、眼鏡をかけている痩せた先生であった。いつもゆっくりした節をつけた口調で話をした。先生は服の着方が無頓着出、わたしも一度教室で先生がネクタイをしないのをみた。 だが、先生は学問には真面目であった。わたしは先生の担任した授業で取ったノートを先生に見せるのを要求された。先生ははじめから終わりまで朱筆で添削し、ぬけたところを書き加えただけでなく、文法の誤りまで訂正してくださった。また、解剖図では、見た目よりも実物に忠実に、解剖実習では、実際に実物を見るという実物主義の姿勢がうかがえた。
(2)次の文章を読んで、筆者が言おうとしていることを二十五字以内にまとめなさい。 意見を封じるよりも戦わせることが重要である。
七、次の日本語を中国語に訳しなさい。
(1)鲁迅是中国文化革命的主将。即使在他已经写出无数震撼全中国的大作时,他寓所那
张方桌对面的墙上也还挂着藤野先生赠送的照片。鲁迅先生以此自勉,并使之作为自己不断前进的巨大动力
(2)鲁迅晚年在给日本友人的信中,曾多次打听过藤野先生的消息,但最终还是没能打听到。一九三四年,鲁迅的朋友增田涉在筹备出版《鲁迅选集》时,曾就应该选登哪些作品一事征求过鲁迅的意见。鲁迅先生在回信中说“一切由你定夺”,又说“唯《藤野先生》一文请务必翻译并刊登”。从这件事就可以看出他对恩师藤野先生的深厚感情。
(3)一九三六年,当增田涉来上海探望病中的鲁迅时,鲁迅还惦记着藤野先生。他说:“藤野先生音讯全无,怕是已不在人世了吧?”
(4)其实那时藤野先生依然健在。一九一五年,他从仙台医专辞职后,第二年在家乡福井开了一家诊所,在给农民看病中安度晚年。有一天,在第四高等学校学习的长子藤野恒弥从老师那儿得知有一篇叫《藤野先生》的文章写的正是自己的父亲。他把那本书借回家给父亲看,藤野先生读后这样说道— (5)“鲁迅这个名字还是初次听到,应该是以前的那个周树人吧。我在医专时交过他,给他订正笔记的事我还记得。不过,当时真没看出来他会成为如此伟大的人物,真是有出息。自己教的学生里能出这么个大人物真令人高兴。”
(6)一九三六年十月,藤野先生听到鲁迅逝世的噩耗后十分悲痛。当时,有个记者把鲁迅葬礼的照片拿给他看,他马上正襟危坐,满怀敬仰地接过照片,谈了自己的感想:“当我从报纸上读到鲁迅,也就是周树人君逝世的消息时,不禁思绪万千,没想到只是点滴的关怀却令他这般感激,刻骨铭心,甚至把我的事写成文章并以恩师相称,而且到死还把我的照片挂在房间,一直不停地打听我的消息。” (7)“周先生的家人怎么样了?应该有子嗣吧?我对周先生致以深深的哀悼并祝愿他的家人安康。”
(8)然后,藤野先生为了纪念鲁迅,提笔写下了“深切缅怀周树人先生”的题词。
(9)在二战结束的前夜,一九四五年八月十一日,藤野先生在家乡与世长辞,享年71岁。 (10)为了纪念藤野先生和他与鲁迅的伟大友谊,一九六四年四月,藤野先生家乡的人们在福井县足羽山上立了一座“藤野严九郎碑”。一九七二年我访日时,一位日本友人告诉我,为了表达藤野先生和鲁迅之间诚挚的师生情谊,石碑特别朝着中国的方向而建。当地人亲切地称之为“惜别之碑”。
八、次の中国語を日本語に訳しなさい。(?~⑻は括弧の中の言葉を使うこと) (1)家に帰ったから子供の面倒を見るので、どうも本を読む時間がない。
(2)ふだんよく勉強しなかったので、今度の試合に合格できなかったのも無理はない。 (3)先生によってちょっと手を加えられると、その絵はもっと生き生きとしているようになりました。
(4)村の人々は?紅軍?の残した赤旗などを大切にしまっておきました。
(5)ちょうど李さんが来たので、彼への手紙を出さずに済んだ。 (6)今日から、毎日、二時間ぐらい日本語で話すことにした。
(7)もともと行くつもりはなかったが、何度も勧められたので行きました。 (8)この薬は四時間ごとに一回飲んでください。
(9)二十世紀のはじめに、中華民族は存亡の瀬戸ぎわにたたされていた。国と民衆を救う真理を探すために、若い魯迅は一九〇二年に日本へ留学し、一九〇四年に仙台の医学専門学校に入学しました。
(10)そのとき、中国は弱国だと、列強に認められ、分割の対象となった。日本人の中でも軍国主義の影響を受けた人が中国人に対して民族的な偏見をもっていた。 (11)しかし、解剖学を担当している教授藤野先生は中国の留学生魯迅に対して大きな関
心と好意を寄せ、たくさん手伝ってくださった。
(12)その後、医学によっては当時、中国人の精神をいやすことができず、一番重要なのは人々の考え方を変えるということだと魯迅は思った。そこで、魯迅は医学をやめ、文芸を武器として人々を目覚めさせることにした。
(13)第二学年の終わりに、魯迅は藤野先生を訪ねて仙台を離れるつもりだと告げた。それを聞いて藤野先生は悲しむような、さびしそうな表情を浮かべた。 (14)出発の数日前、藤野先生は魯迅を家に呼んで写真を一枚あげた。写真の後に?惜別??周君へ?と書いてあった。そして、後でお前の写真も一枚送ってくれ、それから折に触れ、手紙で近況を知らせてくれと魯迅に言った。
(15)藤野先生と別れてから、魯迅もよくこの恩師のことを懐かしく思う。そして、一九二六年に『藤野先生』を発表した。 九、実力テスト
(1)次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。(50点満点) 問一 (10点) ①冬 ②枯れ草 問二 (10点) ①夕方 ②暮色 問三 (5点) 汽車にいる 問四 (5点) ものうげ 問五 (10点) ① ④
問六 (10点) やすやすと すべり抜けて (2) 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。(50点満点) 問一 (10点) 幼い一団が、道のまん中に立っていたこと 問二 (10点) 知らず知ら?立っていた 問三 (10点) C 問四 (10点) B 問五 (10点) 大石先生
第八課 日本語の特質
一、?日本語の特質」をよく朗読しなさい。そして、次の語句の漢字にふりがなをつけなさい。
奉る(たてまつる) 献上(けんじょう) 目下(めした)
四国(しこく) 氷水(こおりみず) 病歴録(びょうれきろく) お一方(おひとかた) 己(おのれ) 空腹 (すきっぱら) 読本(とくほん) 文部省(もんぶしょう) 高尚(こうしょう)
行状(ぎょうじょう) 落語家(らくごか) 万葉集(まんようしゅう) 浪花節(なにわぶし) 給仕(きゅうじ) うなぎ丼(うなぎどんぶり) 島崎藤村(しまざきとうそん) 宮沢賢治(みやざわけんじ) 非能率(ひのうりつ)
服部四郎(はっとりしろう) 若草(わかくさ) 二、次の語句の中の片仮名を漢字になおしなさい。 (1)親分が子分に恩恵をホドコ(施)す
(2)そういう無理な態度は親の心をクル(苦)しめるだろう (3)買い物に行くならツ(付)き合いましょう