った。
?対外関係の進展と唐文化の影響
日本は当時、新羅と渤海とも外交交渉をもっていた。しかし、日本と新羅?渤海とのこ のような外交関係の推移も、つまるところは唐との関係に規定されていたのであり、日本が一貫して外交関係をもち、その強い文化的影響をうけたのは遣唐使による唐文化であった。
しかし、大唐帝国の栄華も、安史の乱を経て陰りが出始める。777年以降、大規模な使節は3回派遣されているが、これらは唐に滞留している留学生や留学僧を迎えに行くという側面が強まっていた。既に唐の最盛期は過ぎ去っており、遣唐使の派遣意義には疑問が出始めていた。
?律立体制の完成
じんぎかん
さいせいき
おおからていこく
えいが
やすし
らん
へ
かげ
神祇官はすでに天武?持統朝にその前身(神官など)があり、古くからの神々をまつり、諸国の神社などを管掌するためにおかれましたが、2官とはいうものの、实質的な行政機関としては太政官がほぼ権力を集中しており、神祇官については、その下部官庁などは受験でも覚える必要はありません。
太政官は、唐の行政機関である尚書省と皇帝の諮問機関である門下省をモデルに7世紀後半に形成されたもので、最高官は太政大臣です。適任者がいなければ「則(すなわ)ち闕(か)く」、置かないということです。それほど重要な役職でした。これを「則闕(そっけつ)の官」といいます。
律令以前には大友王子、高市(たけち)皇子など、皇族がこの職につきました。太政大臣がいない場合、左大臣?右大臣が太政官の首班、いわば首相です。定員はそれぞれ1。国政は、天皇のもと、太政大臣、左?右大臣、大納言(定員4。のち中納言の新設により2に削減)のほか、令外官(令に追加しておかれた新設の官職)である中納言(定員2)、参議(定員ははじめ6、のち8)の審議によっておこなわれます。 以上の10数名からなる上級の担当官を、議政官といいます。
議政官と三位以上の位階をもつものを、通常、公卿といいます。 ●8省
太政官のもとに8省があります。8省は4省ずつ左?右弁官に分けられています。これは文書発行などの手続きをスムースに執行するために便宜上わけられたもので、左?右弁官は大?中?尐の弁、大?尐の史などの役人からなります。左弁官に中務、式部、治部、民部の各省、右弁官に兵部、刑部、大蔵、宮内の各省となります。
へいぶ
おさかべ
おおくら
みやうち
かくしょう
なかつかさ
しきぶ
はるべ
ひだり
みぎべんかん
くぎょう
ぎせいかん
りょうげのかん
しゅはん
たけち
だじょうだいじん
しょうしょしょう
こうてい
しもんきかん
もんか
しょうか
ぶかんちょう
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--- 各省の役割 ---
中務省???天皇の詔書作成、後宮?女官関係の事務、内廷の諸事務。 式部省???文官の人事?養成。朝廷の儀礼?儀式などを管掌。 大学寮が下部にあり、大学を管掌した省でもあります。 治部省???五位以上の官人の相続?婚姻、喪葬、外交、寺院を管掌。 民部省???戸籍?計帳による戸の調査などの民政、租税徴収。 兵部省???軍事、武官の人事。
刑部省???裁判、刑罰に関する諸事務。 大蔵省???財政、貨幣鋳造。 宮内省???宮中の事務。
724年 聖武天皇が即位。5年間に4回も都を移している。仏教を厚く信仰し,国ごとに国分寺?国分尼寺,都に東大寺と大仏を造らせる。天平文化(国際色豊かな仏教文化)が栄える。
?律令制の崩壊 都が栄え,人口が増えることで,口分田が不足する。
↓
開墾の奨励をするが,自分の土地にならない。
↓
やる気が起こらない。→私有化へ????貴族の勢力争い
↓
律令制の崩壊。
?鎮護国家
ちんごさかこくぶんじ
こくぶんあまでら
きゅうちゅうざいせい
かへいちゅうぞうけいばつ
かん
しょじ
む
ぶかん
じんじ
みんせい
そぜいちょうしゅう
じん
そうぞく
こんいん
もそう
がいこう
じいん
かんしょう
か
ぶ
だいがく
かんしょう
しょう
ぎれい
ぎしき
かんしょう
しょうしょさくせい
こうきゅう
にょかん
鎮護国家は、政府が仏教を利用して内政の安定を図ろうとした政策、または、仏教には国家を守護?安定させる力があるとする思想。
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思想としては『仁王護国般若波羅蜜経』や『金光明最勝王経』に説かれているが、この経典を供養することで国家が守護されるとされているところから、南北朝時代の中国や奈良時代の日本で盛んに仁王会や最勝会などの法要が行われた。
また、鎌倉時代には、時代の転換期であり、また蒙古の襲来など、社会情勢が不安定であったことから、栄西の『興禅護国論』、日蓮の『守護国家論』、『立正安国論』など、鎌倉新仏教の開祖たちによって、仏教の思想(自派の教義)こそ国を救うものであると盛んに説かれている。
特に、日蓮は立正安国論の中で盛んにこれを喧伝し、政府による国立戒壇の建立によって国家と人々は救済されると説く。
?平安仏教
平安仏教は「鎮護仏教」ともよばれている。仏教は国のものであり、仏の力によって災難や病気を治し、外敵からも護られるという考え方であった。その鎮護思想を支えたのは「天台宗」や「真言宗」、「修験道」である。しかし、各宗派は次第に国の政策から距離を置くようになった。「最澄」(767~822)は「天台宗」を、「空海」(773~835)は「真言宗」を創始することによって、それぞれの宗派の独立性を出そうとした。
?文化の世界性
天平文化の担い手であった古代貴族は、唐への傾倒を深め、その文化を積極的にとりい れた。法律?学問?宗教などだけでなく、造形芸術においてもそうであった。それは盛唐の美術様式だけでなく、唐を通じてペルシアやインド、さらに遠くへレニズム文化の影響が指摘されている。
遣唐使の風格を保つために、日本政府は遣唐使の容姿にまで気を使っていたようである。この点で特に有名なのは702年の遣唐使において執節使を務めた粟田真人であり、「容止温和なり」として中国の史書にも褒め称えられ、時の則天武后にも気に入られて名誉職まで授けられている。
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さず
そくてんぶこう
めいよしょく
もりせつつか
つと
あわたまさと
してき
せいとう
にな
て
そうし
まも
きゅうさい
けんでん
かいそ
しゅうらい
しゅご
と
第4節 『古記事』『日本書記』と『万葉集』
要点: a. 史書?地誌の編纂 前代以来の国史の編纂事業は、8世紀に入って、支配体制の整備にともない結実した ―日本書紀 30巻 神代~持統 舎人親王ほか撰 720年成立 続日本紀 40巻 文武~恒武 藤原継原ほか撰 797年成立 日本後紀 40巻 恒武~淳和 藤原緒嗣ほか撰 840年成立 続日本後紀 20巻 仁明一代 藤原良房ほか撰 869年成立 日本文徳天皇実録 10巻 文徳一代 藤原基経ほか撰 879年成立 日本三代実録 50巻 清和~光孝 藤原時平ほか撰 901年成立 b.漢文学―官吏の教養として漢文?漢詩が重視される ①漢文学者 淡海三海―著書『唐大和上東征伝』 いそのかみのやかつぐおうみのみふねとうだいわじょう石上宅嗣―私立図書館芸亭を設ける ②漢詩集 『懐風藻』―わが国最古の漢詩文集(751) c.和 歌 ①和歌集―『万葉集』―大伴家持らが選集したとされる、宮廷歌人だけでなく東国民衆の東歌や防人歌などの長歌?短歌?旋頭歌約4500首、万葉がなで表記 ② 歌人―白鳳期の額田王?柿本人麻呂、天平期の山上憶良?山部赤人?大伴旅人ら d. 学 問 官吏養成機関である中央の大学、地方の国学で明経道?明法道?文章道?書道?算道などが学ばれる みょうぎょうみょうぼうもんしょうおおとものたびとさきもりうたせどうかあずまうた〔文化の内容〕
(1)建築……校倉造り(三角形の木材を組み合わせて壁とした建築方法)の東大寺正倉院,東大寺法華(ほっけ)堂(三月堂),唐の僧鑑真が開いた唐招提寺の金堂(こんどう)など。
(2)美術……彫刻では,東大寺法華堂の不空羂索(けんじゃく)観音像,日光菩薩?月光菩薩像,東大寺戒壇院の四天王像,興福寺 の阿修羅(あしゅら)像,唐招提寺の鑑真(がんじん)和上像など,絵画では,薬師寺の「吉祥天(きっしょうてん)画像」,正倉院の「鳥毛立女屏風(びょうぶ)」が有名で,正倉院におさめられた聖武天皇愛用の品々には,唐やペルシャの流れをくむものがある。
(3)文学……漢詩文は貴族の教養とされ,現存する最古の漢詩集の『懐風藻』がつくられた。歴史書は太安万侶が『古事記』を,舎人(とねり)親王らが『日本書紀』を完成させた。国ごとに命じて,諸国の産物?伝説などを書き出させた「風土記」という地誌もつくられた。また,『万葉集』というわが国最古の和歌集がつくられ,天皇や貴族ばかりでなく,農民や防人(さきもり)の歌まで,約4500首がおさめられた。
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?史書の編纂
国史編纂事業は、国家意識の高揚し、天皇による国家支配の正統性を明示された。 ――『古事記』は、天武天皇の時に企てた編纂事業を受け継ぎ、元明天皇が大安万呂(安 麻呂)に命じて、稗田阿礼が詠み習った「帝紀」「旧辞」を筆録させて、712年完成し た。
『日本書紀』は、舎人親王が中心となって編纂し、720年完成し、漢文による編年体 六国史―8~10世紀はじめに編纂された六つの正史である。
?地誌の編集
『風土記』は、713年諸国の地理?産物?伝説を記述して、撰上したもので、常陸?出雲?播磨?豊後?肥前の5カ国が現存している。 ?儒教
律令政治の理念が儒教であったので、官吏養成機関である大学や国学では、儒教を中心とする教育が行われらたが、これらは、もちろん漢文で書かれており、官人はまず漢文に熟達することが要請された。
儒教の始祖、孔子
じゅくたつ
かんりようせいきかん
はりま
ぶんご
ひぜん
せんのぼ
ひたち
へんさん
ひえだのあ
れ
おおのやすま
ろ
儒教(じゅきょう)とは、紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に渡って強い影響力を持つ思考?信仰の体系である。その学問的側面から儒学ともいう。 ちなみに中国では、哲学思想の方面では儒家思想あるいは儒家という表現を用いており、宗教としては、やはり儒教という言葉を用いている。
東周春秋時代、魯の孔子によって体系化され、堯?舜、文武周公の古えを理想の時代として祖述し、仁義の道を实践し、上下秩序の弁別を唱えた。その教団は諸子百家の一家となって儒家となり、その儒家思想が漢代、国家の教学として認定されたことによって成立した。
始祖の孔子にちなんで、孔教?孔子教とも呼ぶ。また、その思想的側面から名教?礼教ともいう。
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