2010-简约版练习
けれど)。この歌手は、現時点のポップスがはじきだした〈正解〉を超えてなお飛翔(ひしょう)していくだろうという、一種ドキドキした予感をもって会場を後にしたかったということである。 =1日夜、東京 国立代々木競技場第1体育館
7. 闘牛
闘牛場の片側は陰になり、片側だけが夕陽に染まっていた。刺殺された三頭目の牛が馬をに牽かれて円形の場内を出て行くところだった。ああ,これは人間が牛と闘うのではなく単なる殺戮の遊戯にすぎない,と私は三頭目が殺されてから判断した。もし牛と闘うのなら,あんな華麗な殺し方が出来るはずがなかった。遊戯だからこそ,殺戮手段と方法がひとつの芸になり得ていたのである。ブラスコイバ-ニェスの作品に闘牛をあつかった<血と砂>があるのは知っていたが,私はこれを読んでいなかったので,日本を発つ前にこの本をさがしたが見つからず,結局私のなかにある闘牛の知識は,ア-ネスト ヘミングウェイの作品から得た内容だけだった。私は,人間が牛と闘うのを考えていたのである。しかし現実には,たくさんの人間がよってたかって一頭の牛を殺戮する遊戯にすぎなかった。
亓月だというのに肌寒い日であった。パリではマロニエの花が咲いており暖かったのに,マドリ-ドに着いたら寒い日が続いていた。去年の秋から天候不順だ,と前夜私が足を運んだアントニオ通りの居酒屋のおやじは言っていた。この日私は厚手のレインコ-トを着てホテルを出た。まだ陽がたかく,私はタクシ-でゴヤ街の市場ちかくの居酒屋にたちより,鰯の酢漬で樽からぬいた葡萄酒をのみ,躯を暖めてから闘牛場に来たのであった。
殺されたために飼育される牛とはなんだろう,と私は空を見上げて考えた。闘牛はスペインの国技だという。牛が人間に勝つことは絶対にありえない。芸がなっていない闘牛士が仕留めるのに失敗して牛の角で突き上げられたにせよ,この牛は他の男達の手によって殺されるのである。この牛に希望はないわけである。
闘牛は午後六時にはじまり八時前後に終了を告げる。午後八時といっても日本の午後六時頃のあかるさである。私が場内に入ったのは亓時半だった。やがて楽隊の音とひときわたかい太鼓の響につれ二頭の馬が場内に出てきた。馬に乗っているのは中世の騎士で,二頭の馬はやがて芸を始めた。いわゆる乗馬術というやつで,一種のロココ趣味である。観衆は拍手していたが,私にはすこしも面白くない。国技とはどの国でもこんなものだろう。こっちがみたいのは、人間と牛が闘う壮絶な場面である。
馬の曲芸が終わると,こんどは今日牛と闘う闘牛士が全員顔見せをした。人数は亓人で,彼等はまず審査員がすわっている席にむかって帽子をとった。審査員席は観衆席の上方にあり,四人か亓人の審査員がいるらしかった。それから闘牛士達は右手に持った帽子を胸にあて観衆にあいさつした。アントニオ!ミグエル!とまわりのスペイン人達が贔屓の闘牛士の名をさけんでいる。 闘牛士の服装はなかなか派手で,金,銀,紫,赤などのモ-ルつきの中世のいでたちで,黒い帽子は左右にながいひさしのついたかたちである。いわゆる闘牛帽である。こいでたちは相撲の化粧まわしみたいなものだろう。しかし闘牛士の服は躯にぴったりついているので,なかなか伊達である。
闘牛士の主役はもちろん剣を持ったマダド-ルである。そして,牛に銛をうちこむ二人か三人のバリデリリェロ,牛を槍で突くピカド-ルがやはり二人か三人これに従う。
闘牛場の扉が開き,最初の黒い牛が場内に入ってきた。するとバリデリリェロが赤い布をひるがえして牛をあしらった。この間マダド-ルは自分がこれから刺すべき牛をじいっと観察している。そしてマダド-ルはカポ-テと称する大きな赤い布を使って牛をあしらう技術を示す演技を見せる。この間,防具をつけさせられ馬に乗ったピカド-ルが登場し,槍で牛を小突く。牛が怒り出すのはこのときである。牛の首や背中を突くから血が流れ出る。そしてピカド-ルが退場