2010-简约版练习
すると,こんどはバリデリリェロが登場し,素早く躯をかわしながら牛の首や背に四本から八本の銛をうちこむ。牛は狂い立ってくる。バリデリリェロが退場すると再びマダド-ルが現れ,これからが闘牛のみせ場に入る。このときマダド-ルは帽子はかぶっておらず,彼はムレタという棒にまいた小形の赤い布と剣を持って牛と闘いはじめる。彼はムレタを牛の目前にちらつかせ,怒った牛が疾走してくると,巧みにムレタを横にそらせて牛をあやつる。これを何度も繰りかえす。自分の躯すれすれに牛をあやつる。このあやつりかたがうまいと,観衆はオ-レ,オ-レとさけぶ。
闘牛は,マダド-ルが牛をあやつる躯のこなしに芸の美しさがあるといわれているが,じっさいこれはみごとな芸になっていた。なるほど,と私は思った。能の修羅物を演ずる役者を思いうかべたのである。動きが激しいのに,一点に凝集した静謐な場がないと,修羅物は成立しない。舞台を成立させるかさせないかは,役者の演技にかかっているわけで,マダド-ルのこの動きはかなり優美であった。そして牛が疲れてくると,機会をねらって,剣を牛の首から心臓に向けて突き刺す。実になんでもない所作で,まるで豆腐に箸を突き刺すようなかたちで剣がのびていったのにはびっくりした。マダド-ルが自分の肉でもってこの演技を躯につけたことがはっきりわかる。
私が感心したのは牛の倒れ方だった。彼女は前脚をかがめ,やがて従容と倒れていった。かなり色彩的である。私はこのとき牛の潔さといったかたちについて考えた。人間の女ならとてもこんな従容とした死に方はしないだろう。もしこのように女を殺せたら……。私はそんなことを思った。
三頭の牛が倒れたところで私は闘牛場から出ても良かったが,一縷の希望をもって四頭目が入ってくるのを待った。つまり,闘牛士が牛の角に突き上げられる現場を見物したかったのである。 闘牛は形式美の範疇に入り,多分これはスペイン人の感性が生み出したものだろう。夥しい牛の血が流されながら,それが残酷に映らなかったのは,スペインという風土のせいだったのか,それとも観衆の熱狂のせいだったのか。私がヨ-ロッパを歩きながら考えたのは,なんとここに棲んでいる人達は動物的だろう,ということだった。
結局七頭の牛が殺戮されながら,私がのぞんだ闘牛士が牛に突き上げられる場面は見られなかった。
8.美神
R博士は独乙人で,ライン流域のデュッセルドルフの人である。永く伊太利に定住し,そのおびただしい著作の数は,古代彫刻の権威の名に背かない。
八十三の博士は今,臨終の床にある。しかし,病褥に近づくことを許されているのは,美術愛好家の若い真摯な医者N博士一人である。
R博士の住居は,羅馬市ルドヴィシ通にある。ここは古羅馬の都門を残すボルゲ-ゼ公園に近い閑静な一劃で,博士のアパ-トメントは四階の三部屋にわたっていた。
羅馬の亓月は暖いというよりも,暑いと云ったほうが適当なほどである。強烈な明るさが遍満し,人々は街路樹の深い木陰を選んで歩く。蜜柑水を売る者が町角に車を出し,空は終日雲の翳をとどめない。廃墟の上にはおびただしい燕がとび交わし,幾多の古い泉は豊かな清水を装飾の彫像の全身に浴せている。博士の住居の近くには羅馬の泉の源といわれるトリトンの泉がある。また名高いトレヴィの泉に,羅馬離京の前夜貨幣を投げる者は,生涯のうちに再び羅馬を訪うめぐりあわせになるという口碑がある。
博士はこの泉に貨幣を投げたことは一度もない。その必要を認めなかったからである。羅馬を終生離れない運命を自ら選んでいたからである。
病室の窓には午後の日が真向から射している。日覆が下ろされて,室内は暗い。しかし枕もと