「せ」は未然形で、「未然形+ば」は仮定条件を表します。この「せ」は、「せば」という形以外には使われません。
体験過去の助動詞「き」は不規則活用で、「(せ)?○?き?し?しか?○」と活用します。これを暗記するのは高校生の条件だと思ってください。
$55 物語の中の「けり」の意味は、伝聞過去が基本
日本文学の「物語」というジャンルは、作者が読者に、過去のことを「こういうことがあったそうですよ」と物語る形式を取っています。だから「物語り」というのです。そこで、伝聞過去の「けり」で終わる文が、基本的な文体として使われます。
○今は昔、竹取の翁といふ者| |あり| けり 。 (竹取物語) 竹取の翁という人|が|い |たそうだ。
物語には「けり」が沢山出てくるので、初めに出てきた「けり」と最後の「けり」は「…たそうだ?たという話だ」と伝聞過去の意味を生かして訳し、真ん中のものは「た」と訳すと、くどくなくなります。この「けり」は丸が付いているから終止形。終止形が「り」で終わっているから、「けり」はラ変と暗記すればよいのです。「(けら)?けり?けり?ける?けれ?○」なんて暗記する必要はありません。未然形?命令形は、出てこないのだから、間違えようがないからです。
$56 歌の中の「けり」は詠嘆が基本
歌は感動を表現するものだから、歌の中の「けり」は詠嘆の意味であることが多いです。
○八重むぐら 茂れ る 宿の寂しきに → 八重むぐらが茂っている私の家が寂しいので
○人|こそ|見え|ね | 秋 は| 来|に| けり (拾遺集?百人一首?恵慶法師) 人|は |来 |ない|が、秋だけは|訪ねて来|た|ことだなあ
$57 「なりけり」「にありけり」「にぞありける」「にこそありけれ」の「けり」は発見詠嘆
○ 大納言殿|の|参り|給へ |る| なり|けり。(枕草子?宮に初めて参りたる頃) 関白殿ではなく、大納言殿|が|参上|なさっ|た|のだっ|た 。
関白殿のお出ましかと、作者清少納言が物陰から見ていると、中宮定子の御前に現れたのは大納言殿だった。作者がその発見に詠嘆している気持ちが「けり」に表現されています。
○これは龍(たつ)のしわざ|に|こそ|あり| け れ 。 これは龍 のしわざ|で|! |あっ|たのだなあ。
考えてみると、「にありけり」が短縮されて「なりけり」になった訳だし、「にぞありける」「にこそありけれ」は「にありけり」に強めの係助詞を付け加えた形ですから、これらの「けり」が同じ意味を表すのは、当たり前です。
○今宵は十五夜|なり|けり 。(源氏物語?須磨) 今夜は十五夜|だっ|たなあ。
を、次のように変えても、「けり」が「発見詠嘆」を表すことは変わりません。
○今宵は十五夜|に|あり|けり 。 今夜は十五夜|で|あっ|たなあ。
○今宵は十五夜|に|ぞ|あり|ける 。 今夜は十五夜|で|!|あっ|たなあ。
○今宵は十五夜|に|こそ|あり|けれ 。 今夜は十五夜|で|! |あっ|たなあ。
$58 「あり」の敬語体に付いた「けり」も発見詠嘆
○かかる 人こそは 世に|おはしまし | けれ |と、おどろかるるまでぞ、まもり参らする 。
こんな素敵な人 がこの世に|いらっしゃっ|たのだなあ|と、驚くほどの気持ちで、見つめ申し上げる。 (枕草子?宮に初めて参りたる頃)
「おはします」は「あり」の尊敬語ですから、それに付いた「けり」ももちろん発見詠嘆です。清少納言が、中宮定子の優雅さに驚嘆して見つめている気持ちを書いています。
$59 完了?強意の助動詞「つ」
①行き|つ|、戻り|つ|、
行っ|た|、戻っ|た|、→何度も行ったり戻ったりして、
②ほととぎす| |鳴き|つる|かた|を|眺むれ| ば …(千載集?藤原实定) ほととぎす|が|鳴い|た |方角|を|眺めた|ところ…
③あはれ、秋風よ こころあらば伝へてよ。(佐藤春夫?秋刀魚の歌)
①の「つ」は終止形の珍しい用法です。②は連体形、③は命令形です。
④このこと かのこと 怠らず|成(じやう)じ| て |ん 。(徒然草) このこともあのことも怠らず| |きっと| |成しとげ | |よう。
このように、いわゆる推量の助動詞「む」「べし」「まし」が付いて「てむ」「つべし」「てまし」の形になったときは、「つ」は「強意」(確述?確認などと教える本もある)の意味で、「確かに?今にも?きっと?既に?必ず?ぜひ」などと訳します。
$60 完了?強意の助動詞「ぬ」
①風と共に 去り| ぬ 。
風と共に過ぎ去っ|てしまった。Gone with the wind.
②夏は来|ぬ。
夏は来|た。Summer has come.
③風 立ち|ぬ。 風が立っ|た。
「ぬ」は丸が付いているから終止形。「な?に?ぬ?ぬる?ぬれ?ね」の「ぬ」です。「…てしまう?てしまった?た」と訳します。
②は「夏はきぬ。」と読みます。これを、「夏はこぬ。」と読むことは出来ません。「こぬ」の「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形ですから、係り結びもないのに文末に使うことは出来ないのです。「夏は来ない」は「夏は来(こ)ず。」で、連体形の「ぬ」は、「待てども来(こ)ぬ人」のように使います。
③の「立つ」は、「今まで隠れていたものがはっきりと目に見えるように現われる」という意味です。
④色は匂へど散りぬるを…(…散ってしまうのに…)
⑤已(や)んぬるかな。(「已みぬるかな」の撥音便。「終わってしまったことだなあ」つまり、「ああ、もうダメだ!」)
助詞の「を」「かな」の接続は連体形なので、「ぬる」は連体形です。
$61 助動詞「つ」「ぬ」の強意用法
① 世を捨て|て|む 。 ② 世を捨て|つ|べし。 ③ 世を捨て|て|まし。 ④ さもあり|な|む 。 ⑤ さもあり|ぬ|べし。 ⑥ さもあり|な|まし。 ↑ ↑
いわゆる完了の助動詞┘ └いわゆる推量の助動詞
上のように、いわゆる完了の助動詞「つ」「ぬ」に、いわゆる推量の助動詞「む」「べし」「まし」が付いたときは、「つ」「ぬ」は「強意」(確述?確認などと教える本もある)の意味で、「確かに?今にも?きっと?既に?必ず?ぜひ」などと副詞に訳します。
① 世|を|捨て|て |む 。 俗世|を| |ぜひ| |捨て| |よう。
② 世|を|捨て |つ | べし 。
俗世|を| |必ず|
|捨てる| |つもりだ。
③ 世|を|捨て| て | まし 。 俗世|を| |今すぐ|
|捨て| |たいものだが。
④さ |も|あり| な | む 。 そういうこと|も| |きっと| |ある| |だろう。
⑤さ |も|あり| ぬ | べし 。 そういうこと|も| |確かに| |ある| |に違いない。
⑥さ |も|あり| な | まし 。 そういうこと|も| |必ずや| |ある| |だろうが。
ただし、次のような場合は例外です。
Ⅰ.「む」が連体形で、連体法や準体法である、つまり文法的意味が婉曲?仮定である場合
○名利を長く|捨て果て| な |む|後には、さ にこそ|はべる |べけれ。 |捨て去っ|てしまった| |後には、そのようで |ございます|べきだ。 (財産は捨てるべきです)
$62 存続?完了の助動詞「たり」
「たり」は、「てあり」(…てある?てあった?ている?ていた)という語源の形で理解すると、たいがい訳せますが、
○してやったり。(うまくやった。)
○商売上がったり。(商売はだめになった。)
のように、「…た」と訳すこともあります。
$63 存続?完了の助動詞「り」は?サ変動詞の未然形?四段動詞の已然形に付く
「練習し|あり」(練習し|ている。)という古い言い方がありましたが、練習siari が 練習seri と変化して「練習せ|り」となりました。この「せ」は、本当は連用形がなまったものなのですが、たまたま未然形と同じです。また、「咲き|あり。」が同様になまって「咲け|り」になりました。この「咲け」は、たまたま四段活用の未然形と同じです。そこで、高校文法では、「『り』はサ変動詞の未然形?四段動詞の已然形に付く」と教えています。語呂合わせが好きな人は、「サミシイ接続」)と覚えるとよいでしょう。
○死せ| る|孔明| 、生け| る|仲達|を|走ら す 。
死ん|でいる|孔明|が、生き|ている|仲達|を|退却させる。
○我| |奇襲に|成功せ|り。 私|は|奇襲に|成功し|た。
○生け| る|屍
生き|ている|屍→死んだも同然の人間
○ 事| |成れ |り。 仕事|は|成功し|た。
○我| |戦へ|り。 私|は|戦っ|た。
「り」は、「たり」と同じで、「…てある?てあった?ている?ていた?た」と訳します。四段活用とサ変以外には付きません。
$64 なぜ「む(ん)」には推量?意志?勧誘?婉曲?仮定の意味があるのか
「む(ん)」は、通称は「推量」と言っていますが、用法によって、推量?意志?勧誘?婉曲?仮定などさまざま
に使われます。その原義は「推量」で、使い方によっていろいろな意味に使われるようになったと考えると分かりやすいです。つまり、
①雤| |降ら| む 。 雤|が|降る|だろう。
②さ |も|あら| む 。
そういうこと|も|ある|だろう。
というように、第三者(三人称)の動作に付くと、「推量」の意味になります。
②の「む」の前に、「な」を入れると、完了?強意の助動詞「ぬ」の解説で述べたように、推量に強意が加わり、
③さ |も|あり| な | む 。 そういうこと|も| |きっと| |ある| |だろう。
となります。
③志を果たして、いつの日にか帰ら|む(ん)。 帰ろ|う 。
④今|こそ|別れ| め。いざ、さらば。 今|は |別れ|よう。
というように、自分の動作について述べると、「意志」を表すことになる。時代劇などで、「そなたを許すであろう」などと言うと、「そなたを許すつもりだぞ」というように、自分の意志を表すことになりますが、それと同じです。①は終止形、②は「こそ」の結びで已然形。
意志を表す「む」は、美しく分かりやすい例文がたくさんあります。
○麗しき桜貝一つ、去り行ける君にささげん(む)。(桜貝の歌) ○桜、桜、弥生の空に…いざや、見に行かん(む)。(桜)
○いざ、讃へむ(ん)、オー、ヘー、我らの何とか高校!(君の学校の校歌) ○われに支点を与へよ、さらば地球をも動かさむ。(アルキメデス)
二人称の動作について「む」を使うと、「勧誘」の意味になります。特に疑問といっしょに使われることが多く、
⑤帰り|給ひ | て | む |や|。 |きっと| |お |
帰り|になる| |だろう|?|。→帰って下さいよ。
現代語でも、相手に面と向かって「俺と付き合うだろう?」と言うと、「いいから俺と付き合えよ。」と勧誘する意味になるのと同じです。なお、「て(完了「つ」の未然形)」を「きっと」、「給ひ」を「お…になる」と訳しています。
英語でも、will という助動詞は、主語が三人称だと「…だろう」、一人称だと「…するつもりだ」、二人称で疑問文 Will you …? だと「…しませんか」と勧誘する意味を表しますが、それとよく似ています。
「婉曲?仮定」の説明は少し長くなります。
ここに西郷隆盛という人がいる。彼はかつて陸軍大臣だったが、今は引退して、故郷の鹿児島で、毎日畑を耕している。ある人が尋ねた。「あなたは毎日畑を耕しているが、いったいいつ本を読むのですか。」西郷は答えた。「そのうちに雤が降る日があるだろう。そういう時は本を読むつもりです。」晴耕雤読の生活というわけですが、この西郷のセリフを古語で表現すると、「雤の降らむ(ん)日には、書を読まむ(ん)。」となります。この初めの「む」は「日」という体言を修飾しているので、連体形で、用法は連体法です。これを訳すと、
○雤の降ら|む(ん) |日には、書を読ま|む(ん)。
a雤が降る|だろう |日には、本を読む|つもりだ。(推量に訳した) b雤が降る|ような |日には、本を読む|つもりだ。(婉曲に訳した)
c雤が降る| |日には、本を読む|つもりだ。(あえて訳出しなかった) d |もし |
雤が降っ|たら、その|日には、本を読む|つもりだ。(仮定に訳した)
となります。
aは、意味は通じるが、現代語としては少し不自然なので、原則的には、やめよう。 bは、まあよい。
cは、いっそ、すっきりしてよい。 dは、現代的?論理的でよい。
というわけで、このような「む」の文法的意味を「婉曲?仮定」と言い、普通は、文脈に即してbcdのどれかに訳しています。
上の例文の「日」を省略して、
○雤の降ら|む(ん) | |には、書を読ま|む(ん)。
a雤が降る|だろう |日|には、本を読む|つもりだ。(推量に訳した) b雤が降る|ような |日|には、本を読む|つもりだ。(婉曲に訳した)
c雤が降る| |日|には、本を読む|つもりだ。(あえて訳出しなかった) d |もし |
雤が降っ|たら、その|日|には、本を読む|つもりだ。(仮定に訳した)
という言い方もあります。その場合、「む(ん)」の用法は準体法ですが、訳し方は同じです。
$65 「ん」と「ぬ」と「む」を混同しないこと
①俺は飯は|食は|ん 。 ②俺は飯は|食は|ぬ 。 |食わ|ない。
①お前の命令は|聞か|ん 。 ②お前の命令は|聞か|ぬ 。 |聞か|ない。
①そんな話は|信じ|ん 。 ②そんな話は|信じ|ぬ 。 |信じ|ない。
上の①は、せいぜい江戸時代以降の新しい言い方で、②の「ぬ」が撥音便化して「ん」になったものです。こういう風に「ん」が打消の意味で使われることは、高校の古文ではまずないと思ってください。また、漢文では絶対にありません。
②の「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形が終止形のように使われたものです。連体形ですから、「犬も食はぬ不味い飯」「誰も聞かぬ命令」「人の信じぬ話」のように名詞の前に使うのが正しい使い方で、②のように終止に使うのは、平安朝の古典文法では間違いです。①と②は、意味はまったく同じです。
③いざ、飯を|食は|ん。 ④いざ、飯を|食は|む。 さあ、飯を|食お|う。
③話を|聞か|ん|と|す 。 ④話を|聞か|む|と|す 。 |聞こ|う|と|する。
③それを|信ぜ|ん 。 ④それを|信ぜ|む 。 |信じ|よう。
上の③と④は、正しい古文で、③は④の「む」が撥音便化したものです。意味はまったく同じです。
$66 疑問の係助詞「や」+現在推量の助動詞「らむ(らん)」
○風吹けば沖つ白波立田山→
┌────────────────────┐
○夜半に|や| 君 が一人 | 越 ゆ |らむ ||(伊勢物語) |今頃 |↓
|あなたが一人で|越えてゆく|のだろう|か
通称は「現在推量」ですが、「らむ」は、現在、目の前に見えない世界を想像することを表し、「今(頃)…だろう」と訳します。この歌は、夜の山道を一人で歩いている夫を想像している気持ちを表現しています。 また、この「らむ」は係助詞の「や」の結びで連体形です。 疑問の係助詞「や」は、文末に「(だろう)か」と訳出します。